約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直【季語=春隣(冬)】

約束はいつも待つ側春隣

浅川芳直
(『夜景の奥』)

作者は、平成4年宮城県生まれ。5歳のときから俳句を始め、平成10年、蓬田紀枝子主宰「駒草」入会、後に西山睦主宰に師事。平成29年、東北にゆかりのある平成生まれの俳人を集めた同人誌「むじな」を発行。令和2年、第8回俳句四季新人賞、令和3年度宮城県芸術選奨新人賞、令和4年、第6回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞を受賞。令和5年、第一句集『夜景の奥』を出版。同句集にて第15回田中裕明賞、第48回俳人協会新人賞受賞。東北大学大学院文学研究科博士課程にて哲学を研究し、論客としても知られている。

私が芳直さんに初めて会ったのは「こもろ日盛俳句祭」で、当時は20歳であった。坊主頭の素朴な少年という印象で懐かしい匂いがした。次に会ったのは神田の「銀漢亭」で、句会の後のカラオケで「水戸黄門」の主題歌を歌ってくれた。とても良い声をしていたのは、剣道部で鍛えたからとのこと。

後になって知ったのだが、芳直さんの先祖は福島県の浅川城城主であるらしい。浅川氏は戦国時代に、陸奥の石川氏と手を結び、侵攻してきた佐竹氏といくたびも攻防戦を繰り広げた。最終的には伊達氏の配下となる。歴史的にみれば敗者の一族ではあるのだが、矜持を捨てない一族であった。私の故郷もまた佐竹氏と戦ったり、服従したりを繰り返した土地である。私はさすがに殿様家系ではないけれども血族意識の強い土地に生れたため、芳直さんには共感するものがあった。そんなことから私はひそかに芳直さんのことを「若殿」と呼んでいた。

このたび、第一句集『夜景の奥』は俳人協会新人賞を受賞した。すでに田中裕明賞を受賞している句集でもあり、総合誌やネットなどで多くの鑑賞が書かれている。句歴が長いため題材は多岐にわたり、好奇心旺盛な少年を思わせる内容となっている。

学校生活の句を残せたのは、幼い頃から俳句を詠んできた強みでもある。剣道部時代の句も眩しい。そして、大学院での日常もしっかりと詠み、作者象が見える。
  給食の麦飯の皿かく軽し
  噴水へさし出す坊主頭かな
  空調音単調キャベツ切る仕事
  一瞬の面に短き夏終る
  夜濯に道着の藍の匂ひけり
  四面書架哲学教授昼寝覚
  論文へ註ひとつ足す夏の暁

 生れ育った土地の描写は愛情と屈折を感じさせ、それが力強さとなっている。
  城山より見据ゑ阿武隈夏霞
  甲冑の髭撥ねてゐる御慶かな
  光りつつ飛雪は額に消えにけり
  遅き日や後部座席の津軽弁
  潮風の吹きぬけてゆく苺摘
  春昼の酔うてもムツオにはなれぬ
  雪となる夜景の奥の雪の山

東日本大震災は、二十歳の頃だったという。若さに満ち溢れた時代に眼差した喪失感は計り知れない。どんな小さなことにも希望を見出そうとする視点へとつながった。
  かごめかごめ残花瓦礫へ降りゐたり
  鳥帰る廃船といふ道しるべ
  破船一つ蚰蜒の群れたる禁漁区     
  島凪ぐや落花行き着く貝の殻
  花菜畑やうやく人の気配かな
  てんと虫東京からの速達便

独特の視点の良さは、時には丁寧で時には大胆でもある。表現の幅広さは、作者の修行の賜物である。
  地ビールの乾杯どれも違ふいろ
  武者振ひ落としし馬の冷やさるる
  姥百合の実の時詰めてゐる力
  葉擦れとも水の音とも夜の新樹
  集落を人影蜘蛛の狩しづか

青春性を感じさせる句もまた、句集の魅力である。恋と失恋を重ね、少年は大人になる。運命の恋を見つけたらまた子供に戻って、その相手と過去と未来を分かち合う。
  新春の小石ひとつを蹴つて泣く
  あかるくてからつぽしぼり器のレモン
  花曇きれいに割れぬチョコレート
  火蛾集ふ避妊具自動販売機
  鈴虫の烈しやグリム童話集
  曼珠沙華吹き残されて茎二本
  秋の雨待たせる人の見えてきて
  香水のほのか夜景に背を向けて
  言はぬことありて握手や春の雲
  人白くほたるの森へ溶けきれず
  雨あがるひかり氷菓の封を切る

俳句を詠んできたからこそ、過去を振り返ることができ、現代を眼差すことができ、未来を見据えることができる。「むじな」発行人として、多くの東北ゆかりの若手を俳壇に送り込んだ作者は、賞を受賞することでさらなる雄姿を見せた。今後は「俳句の殿様」と呼ぶことにしよう。

約束はいつも待つ側春隣  浅川芳直

春隣は、1月下旬の頃の暖かい日のこと。暦の上では寒中なのだが、陽射しや樹々の芽吹きに春への期待が膨らむことがある。実際には、寒明けの2月初旬から厳しい寒さが続く。作者の住む宮城県の春は遠い。掲句には待っていることの不安よりも、絶対に逢えるという期待感がある。春が来るまでじっと待つ東北の人の気質を感じさせると同時に、待っている人が春を運んでくるような、そんなときめきも伝わってくる。

恋において待つのは、本来は女性の方である。男性である作者が待っていることに、おおらかさがあり、好感が持てる句となっている。約束の時間にいつも遅れる恋人を待っているのか、相手が忙しくて逢う日取りが決まらず連絡を待っているのか。その両方とも取れる句である。とにかく相手は待たせる人なのだ。作者の受身の姿勢には、不器用さもあるのだろう。積極的なようで積極的ではない恋なのかもしれない。待つことが好きな私には非常に共感できる句である。

そんな私にも人を待たせたことがある。大学院生の時、研究会で知り合った他大学出身の学芸員と親しくなった。彼は学芸員の仕事をしながら論文を執筆し、研究者を目指していた。複数の学会に所属し、人脈を広げ、自身の主催する研究会も持っていた。私にとっては憧れの人であった。ある時の懇親会の帰りに飲みに誘われ、有頂天となり交際することになった。

ところが交際し始めてみると、「僕は忙しいからあまり逢えない。だから逢いたい逢いたいと言わないで欲しい。また電話やメールに返信できなくても責めないで欲しい」と言われた。なのでひたすら待つことに決めた。当時の私は一日中図書館に籠り調べものをし、家に帰れば明け方まで論文を書いていた。待つことは苦痛ではなかった。彼からは思っていたよりもマメに連絡があり、研究者同士の派閥争いや執筆中の論文の話などをしてくれた。私が研究を諦めて就職しようとした時も「文学の研究が嫌なら創作する側になればいい」と励ましてくれた。金融業の会社に就職して間もない頃、俳句の賞を受賞した。20年前は20代の俳人が珍しかったこともあり、原稿の依頼が続いた。一方では仕事も楽しく、喜んで残業を引き受けていた。気が付けば、彼からのデートの誘いにも応じられず、電話やメールの返信も遅れがちになった。「落ち着いたら連絡して」とのメールもプレッシャーとなる。久しぶりに逢っても自分の話しかしなかった。就職して半年が過ぎた頃、「もう君とは付き合えない」と言われた。私が仕事と俳句に夢中になっている間に彼は、自身の論が否定され、さらには態度が横柄だという理由で研究会からも干されていたらしかった。「君は付き合い始めた頃から何を考えているか分からない人だった。連絡はいつも僕の方からばかりで。君は奥ゆかしい自分に酔っていたのかもしれないが、僕には不愉快でしかなかった。私は頑張っているのというアピールも鬱陶しい。自分のことばかりで、僕のことを分かろうとはしなかった」。言われてみればその通りであった。彼のことを強い人とか完璧な人とか思い込み、彼が望んでいる理想の女性になろうとして突っ走っていた。彼もまた私に合わせて強気な発言をし、見栄を張っていたのだ。でも本当は、とても繊細な人だったのだ。

彼は待たせるのも待っているのも辛いと感じる人なのだが。どちらかと言えば、待たせる方が好きだった。「逢いたい逢いたいと言うな」とか「連絡がないことを責めるな」と言ったのは、そう言って欲しい気持ちの裏返しだったのかもしれない。私はどちらかというと待つ方が好きで待たせることの方が辛い。だから、自分の方から「逢いたい」と言えなかった。彼の負担になりたくなくて言わなかった。

待たせるより待っている方が楽だ。人を待たせていると思うと焦ってしまう。時には、重たくも感じてしまう。追いかけるのが好きなのに待っているのも好きなのは不思議なことだ。そういえば私は、幼い頃から魚釣りが好きだった。餌を釣り針に付けて、魚が引っかかってくるのをずっと待っている。波に揺れる赤い浮子を眺めているだけで胸がときめく。魚が好む餌を付け、糸や錘を調節し魚を追う。追うことと待つことは似ている。春になれば魚も食いつきが良くなる。春間近の暖かい日は心が躍る。春を待つ気持ちは、恋そのものである。

人を待たせるという不似合いな恋をしてしまった私はそれ以来反省し、待つ恋に徹した。そして自分の話はせず、ひたすら聞き役になった。受身の恋が良いのかどうかは分からないけれども、それが自分には合っている。魚の性格を理解しなければ釣れるものも釣れないことを知っているからだ。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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