またわたし、またわたしだ、と雀たち
柳本々々
自分が存在しているということが、とてもふしぎに感じられる瞬間がある。
で、そんなとき思わずやってしまうのが、俳句を書くことだ。どうしてかはわからないけれど、俳句を書けば、もういちどそのふしぎな感じが再現できるんじゃないかしら、と期待してしまうのである。
わたしにとって存在というのは、吐息が音や律動に変わる瞬間のふしぎに、ちょっと似ている。またわたしは新規性といった意味における俳句の新しさには関心がないけれど、そのいっぽうで朝めざめた瞬間の、あの生まれたての感じといった意味でなら、新しい一句がいつでも大好きだ。
またわたし、またわたしだ、と雀たち 柳本々々
ほやほや、かつ、きらきらーーそんな生まれたての存在それ自体を具現した一句だとおもう。あれ、柳本々々は川柳作家じゃないの?なんて台詞は言いっこなしだ。作者と作品はべつのもの。掲句には、この世に生まれたばかりの、ふにゃふにゃの感触があって、ジャンルの鎧をいまだーーそして願わくば永遠にーー装わずに呼吸しているのだから。
(小津夜景)
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」