
神の留主留主とおもへば神の留主
上島鬼貫
元禄三年(1690)に板行された、大阪から江戸へ向かう紀行文「禁足旅記」において、箱根権現社(箱根神社)を訪れたくだりに挿入されている一句である。ただし、この紀行文は全て家で執筆されている。すなわち、空想上で旅をし、さらにその空想の旅路の上で句を詠んだということになる。掲句はその中でも特に人を食ったものだ。上手いことを言っているようで、当たり前のことを言っているようで、深いことを言っているようでもある。
「当たり前」と思うのは、これが「神様」に対する、よくある直観を述べただけの句のような気がするからだ。
さくらももこの漫画『コジコジ』に、「江戸ッ子の国のゲタ屋一家がやってきたの巻」という話がある[1]。コジコジたちのいるメルヘンの国に、文字通り「江戸ッ子の国のゲタ屋一家」がやってくる。コジコジの仲間たちは彼らを「神様」だと勘違いし、町中が大さわぎとなるのだが、歓迎の準備をしているうちに見失ってしまう。一方ゲタ屋一家は、ひとり歓迎の準備に加わらずふらふらしているコジコジに出会う。「神様っていう人探してるんだけど/どこにいるか知らない?」と問うコジコジに、困ったゲタ屋の主人は「神様ってのはなァ 心ン中にいるんだ/やたらと外をウロウロ歩いてたりするもんじゃねえ」と諭す。
『コジコジ』は、言うまでもなく高尚な宗教論を展開する作品ではない。江戸ッ子のゲタ屋も、史実の裏付けがある人物ではもちろんなく、作者の頭の中からふっと生まれたキャラクターにすぎない。だから、ゲタ屋の主人の「神様ってのはなァ 心ン中にいるんだ」というセリフは、宗教思想の深い理解から出たものというより、われわれの多くがなんとなく共有している、「神様ってそういうものだよね」というごく当たり前の、素朴な直観の反映だと言える。
「神様は心の中にいる」というのは、神様が存在しているかどうかがおのおのの内面のありように依存している、という意味だと解していいだろう。要するに、「神様はいると思えばいる」ということだ。そんなわけで、鬼貫の掲句も、ただ神様に対する素朴な直観を五七五にしただけ……と、そう片づけることもできる。
一方で、「神様は心の中にいる」「神様はいると思えばいる」というような考え方は、決して近代や日本といった範囲にとどまるものではなく、もっと古くから繰り返し語られてきた宗教思想の主題のひとつでもある。たとえば、ローマ帝国時代の教父アウグスティヌスは、自身がキリスト教に目覚める前の不埒な生活を記した『告白録』において、神に対し「ああ、あなたは内にいたのに、何と、わたしは外にいました。(中略)あなたはわたしと共にいましたが、わたしはあなたと共にいませんでした」と述懐する[2]。さらに、その後の著作『三位一体論』では、「私たちが今神を愛さないならば、決して神を見ることはないであろう」とも述べている[3]。すなわち、自己の内面を見つめることによって初めてきちんと神を認識できるという趣旨の考えが、古代のキリスト教圏にもあったわけである。
そうなると、掲句の直観の素朴さとは、実は文化や時代を超えて普遍的な重みを持つ、意外な深さを備えた観念のようにも見えてくる……と、そう結論づけることもできる。
ただ、僕がこの句に対して感じる「深さ」は、もう少し鬼貫らしい、ひねくれたところにある。というのも、これは一見「いると思えばいる」的な句に見えて、実際には「留守と思えば留守」と言っているからである。
つまり、この句は「神様が存在するかどうか」を最初から問題にしていないのである。この句が立てているのは、神様が存在することはするとして、その神様が今留守なのかどうかという、ごく実務的な問いだ。そして、そこに対して「留守と思えば留守」と答えてしまえる鬼貫は、やはり只者ではない。果たして鬼貫は、「留守じゃない」と思いさえすれば、熱海神社に別の神様、あるいは元の神様の分身が現れると考えているのだろうか。それとも、あろうことか旅に出ている神様に「今すぐ熱海神社に戻ってこい」と催促をしているのだろうか。僕はこの句を俳句としてあまり良いと思っているわけではない。しかし、この句の楽しい謎には、どうにも惹かれるところがある。読者のみなさまもぜひ、「留守と思わなければ留守じゃない」と言われてしまった、出雲へ出かけている最中の神様の気持ちを想像してみてほしい。
掲句は『鬼貫句選・独ごと』(復本一郎校注、岩波文庫、2010年)より引いた。
- さくらももこ『COJI-COJI(3)』りぼんマスコットコミックス、集英社、2009年、pp.79-95。 ↩︎
- 宮谷宣史(訳)『アウグスティヌス著作集 第5巻Ⅱ 告白録(下)』教文館、2007年、pp.142-143。 ↩︎
- 泉治典(訳)『アウグスティヌス著作集 第28巻 三位一体』教文館、2004年、p.238。 ↩︎
(田中木江)
【執筆者プロフィール】
田中木江(たなか・きのえ)
1988年: 静岡県浜松市生まれ
2019年: 作句開始
2023年: 「麒麟」入会 西村麒麟氏に師事
2024年: 第1回鱗kokera賞 西村麒麟賞 受賞
2025年: 第8回俳句四季新人奨励賞 受賞