
【第22回】
師走の靴音、焦げるような祈り
(2023年有馬記念 スルーセブンシーズ)
改札は有馬記念の靴の音 黒岩徳将
有馬記念当日、中山競馬場の最寄りである船橋法典駅の光景が思い起こされる。
ホームは競馬場直結の改札へ向かう人で溢れ、異様な熱気を帯びる。掲句はそんな圧倒的な雰囲気を「靴の音」という聴覚だけで鮮やかに切り取ってみせた。それは単なる歩行音ではない。有馬記念に想いを託す数万人の渇望と、師走の焦燥が混じり合った、地鳴りのような響きだ。
2023年12月24日。クリスマスイブの浮き足立った街を素通りして、私もまた、その「靴の音」の一つとして中山競馬場へと向かっていた。
私の胸にあったのは聖夜の祝祭感ではなく、もっと切実で、焦げるような祈りだった。
スルーセブンシーズ。
父ドリームジャーニー、祖父ステイゴールド。私の愛する黄金の血を受け継ぐその小柄な牝馬は、フランス・凱旋門賞で世界を相手に4着と健闘し、この冬の中山へ帰ってきた。
「世界最強馬」イクイノックスが引退し、牝馬三冠のリバティアイランドも不在。混戦模様の有馬記念。だが、私にとっての主役は彼女しかいない。彼女がこの中山2500メートルを駆け抜ける姿を見届けること。それは、2023年を締めくくるための私の儀式でもあった。

4コーナーの芝生に陣取り、発走の時を待つ。年末の中山は寒く、時折ポケットに手を入れてはカイロでわずかばかりの暖を取った。スルーセブンシーズの硬く冷えた応援馬券を見つめる度に、私の胸の奥には熱が走った。


ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。スルーセブンシーズの姿を必死に探す。馬群が目の前を過ぎ、スタンド前を通過し、向こう正面へと入っていく。ターフビジョンも見えない場所での観戦だったので今どういう状況なのかも正確にはわからなかった。周りの人たちの声も頼りにしながら、私はひたすらにスルーセブンシーズの勝利を祈り続けた。

気づいたら、ドウデュースが優勝していた。
4コーナーからではゴールの瞬間は全く見えず、すぐには勝ち馬がわからなかった。「ドウデュースも私も帰ってきました!」という武豊騎手の喜びの声に大歓声が上がる。ユタカさんが勝ったのならよかった、と思ってしまう。競馬界のレジェンド武豊は、私にとってもいつまでもヒーロー的存在なのだ。
スルーセブンシーズは先団の後ろから進んだが、見せ場を作れず12着に終わった。それでも、無事にレースを終えて戻ってきてくれたことに深く安堵した。結果を出せなかったことは残念ではあるが、無事であることがまず何より大切。無事是名馬である。
さて、2025年。
今年の有馬記念はドラマの影響もあってか入場券すら入手困難な状況で、抽選で落選した私は泣く泣く自宅観戦組となりそうだ。「靴の音」の一つになれないのは非常に残念だが、スルーセブンシーズと同じく黄金の血を引く愛する馬たちが出走予定。彼らの勇姿をしっかりと見届け、熱い有馬記念で最高の一年の締めくくりを迎えたい。
【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。南風俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。
【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】
【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)
【第6回】母の名を継ぐ者(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)
【第7回】虹はまだ消えず(2018年 天皇賞(春)・レインボーライン)
【第8回】パドック派の戯言(2003年 天皇賞・秋 シンボリクリスエス)
【第9回】旅路の果て(2006年 朝日杯フューチュリティステークス ドリームジャーニー)
【第10回】母をたずねて(2022年 紫苑ステークス スタニングローズ)
【第11回】馬の名を呼んで(1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー)
【第12回】或る運命(2003年 府中牝馬ステークス レディパステル&ローズバド)
【第13回】愛の予感(1989年 マイルチャンピオンシップ オグリキャップ)
【第14回】海外からの刺客(2009年 ジャパンカップ コンデュイット)
【第15回】調教師・俳人 武田文吾(1965年 有馬記念 シンザン)
【第16回】雫になる途中(2023年 日経新春杯 ヴェルトライゼンデ)
【第17回】寺山修司と競馬(1977年 京都記念 テンポイント)
【第18回】主役の輝き(2012年 阪神大賞典 オルフェーヴル)
【第19回】白毛馬といふといへども(2022年ヴィクトリアマイル ソダシ)
【第20回】父の帽子(2018年日本ダービー 2着エポカドーロ)
【番外編】ウマ吟行会東京競馬場吟行記
【第21回】馬のための馬(2006年凱旋門賞 ディープインパクト帯同馬ピカレスクコート)

