去年今年貫く棒の如きもの
高浜虚子
今週、日曜から月曜にかけての未明、ハイクノミカタ・水曜日担当の橋本直さんから「大晦日は大年の句にしたので、去年今年つかうなら遠慮なくどうぞ」なる前振りがありまして…。
えへへ、まじ!とて、こちらに。うつくしきダチョウ倶楽部(伝統)の型。
しかしながら、本当は、この2週間が、「聖夜」と「除夜」の担当と判明した時に、別の虚子の句を考えていた。
年を以て巨人としたり歩み去る 高濱虚子(大正2年12月、『五百句』所収)
前の前の前の年号とはいえ、同じ2年だし、虚子俳諧復帰後の波乱の年の終わりに詠まれたこの一句に、ちょっと共感を覚えたからだ。しかし、よく近づいて曜日を数えれば、金曜は正確には元旦。元旦に「行年」でもないよねと、直さんのお進めに従うことにした。
が、まず、こちらの句。
この年が巨人として歩み去る。ここでは終わろうとするこの年は、「巨人」とされた。
巨人とは何だろう、まずは巨大な、人型のもので、だけれど思うに任せないもの。きっとそんな一年だったに違いない。しかし、その大いなる年も、今、過ぎ去ろうとしている。そう考えれば、句の見た目の印象に比べて、さっぱりした空気が漂っている。
その証拠に、翌年には
時ものを解決するや春を待つ
我が心或時軽し罌粟の花
など、何か前向きな句が並び始める。
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