【連載】落語と俳句 行ったり来たり/三橋五七【第3席】


【第3席】
梅雨のおっぱい

碁敵は憎さも憎し懐かしし  誹風柳多留


今回は梅雨の季節によく演じられる演目「笠碁」を紹介します。
大店の旦那二人は大の囲碁好き。その一方が、碁が強くなるには「待った」をしてはいけないと師匠から教えられ、「今日は待ったなしで勝負をしよう」と言い出します。ところが、碁を打ち始めて早々、「待った」なしを言い出した当人が禁を破ってしまいます。

はじめは穏やかに話していた二人ですが、次第に「待った」「待たない」の言い争いはヒートアップ。囲碁とは関係のない、昔の商売上のやり取りにまで話が及び、最後には「このヘボ」「二度と来るな、バカー」と大喧嘩になってしまいます。

当時の商家の大旦那は、店のことは番頭に任せ、余計な口を出さないのが見識とされていました。そんなわけで、碁敵を失った旦那たちは途端にやることがなくなってしまいます。かといって、両人ともとても碁会所で打てるような実力ではなく、お互いに「俺の相手はあいつだけ」。碁を打ちたくてうずうずしている二人がやがて仲直りをするまでの顛末と心理を「笠碁」は丁寧に描きます。

老後の趣味を失って暇を持て余した旦那たちの無聊の気分を高めるのが、ずっと降り続ける長雨です。実を言うとこの「笠碁」、梅雨時の演目とは言い切れない部分があります。「笠碁」を十八番にした五代目柳家小さんは、噺の中で火鉢に炭を継ぐ場面を描いています。小さんは弟子に「笠碁は梅雨じゃない。秋雨だ」と語っていたそうです。「梅雨は鬱陶しいから、碁を打とうという気分とは違う。秋は人恋しくなるから、じっとしていると、出ていきたくなる。しとしとした物悲しいような雨だ」という理屈です。

人間国宝に異論を唱えるつもりは毛頭ありませんが、それでも私は「笠碁」を梅雨の噺として味わいたい。それは十代目金原亭馬生の「笠碁」に梅雨の気配を濃厚に感じるからです。馬生の「笠碁」のDVDは何度も繰り返して見ていますが、いつも最後にはウルっと来てしまいます。「芝浜」「子別れ」「文七元結」……、人情噺の大ネタは他にも多くあります。そこに描かれる夫婦や親子の情愛には涙ぐむことのない私が、滑稽噺の色合いの濃い「笠碁」の描く老人男性の友情譚にやられてしまう。それほど馬生の「笠碁」は胸に迫ってきます。

小さんの「笠碁」は誰もが認める一級品です。幼馴染の気安さから腹の内を隠さない小さんの旦那たちの人物造形は、その武骨な芸風ととてもよくマッチしています。一方、馬生の旦那たちは、言い争いの最中も丁寧な言葉遣いを崩しません。大店の主らしい穏やかさと如才なさを感じさせながら、それでも最後にはたった一つの石を巡って「ヘボ!」「バカー!」という罵倒に至る。まるで小学生レベルの罵り合いは、喧嘩慣れしていない感じが満載です。そこには、老境に足を踏み入れた男の子供っぽさ、さらに言えば“可愛らしさ”が表れています。この可愛らしさには、晩秋の冷たい雨よりも、梅雨のぬくもりを含んだ雨が似合うと思うのです。

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