神保町に銀漢亭があったころ【第92回】行方克巳

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銀漢亭閉店と俳人伊藤伊那男 

行方克巳(「知音」代表)

私が初めて神保町の銀漢亭を訪れたのは、店が始まってからそれほどたっていない頃だったと思う。

かつて杉本零が指導していた秋雨会という句会があり、零の死後、私がその後を受け継いで毎月小さな句会を催していたのだが、そのメンバーに枡田素子さんという女性がいた。彼女は奥沢にある通称「海軍村」と呼ばれる地域に住んでいたが、そのご子息が銀漢亭主人である伊藤伊那男さんと、慶應義塾大学の同級生であったのである。伊那男さんはしばしば海軍村の枡田邸に脚を運んでいるように聞いている。そんなわけで、句会の何人かが枡田さんに連れられて銀漢亭の客になったのである。

角川の「俳句」8月号に、伊那男さんの「銀漢亭」閉店顛末記なる一文があり、店を閉めるに至ったいきさつが書かれているが、私の思いからすれば「伊那男さん、お店をやめて本当によかった」の一言に尽きる。

俳誌「銀漢」はとても意欲的な編集で着実に前進していることに疑いはないが、その目次の中で私の必読のページが、主宰の「銀漢亭日録」である。店の客のこと、句会のこと、週末の旅や吟行のことなど、一ヶ月の間の伊那男さんの日常が手に取るように書かれている。

こんなに連日連夜飲み、食べ、遊び、俳句を作り、一体彼の五体はいつ休息を取るのだろうと、日録を読むたびに驚き、あきれ、そしてまた危惧してきた。聞けばかつて大病もしているとのこと……。

彼のような二足の草鞋には絶対限界があるに違いない。

私は自分自身の夜更かしや不摂生を棚に上げて、伊那男さんのあきれたムチャクチャぶりを心配していたのである。

新型コロナウイルスはあらゆる面で我々の日常生活に災いをなしてきた。しかし、銀漢亭の閉店は、俳人伊藤伊那男にとっては大いなる僥倖であったと私は信じて疑わない。


【執筆者プロフィール】
行方克巳(なめかた・かつみ)
1944年千葉生まれ。1968年より「若葉」に投句し、富安風生、清崎敏郎に学ぶ。1987年、句集『知音』で第11回俳人協会新人賞を受賞。1996年、同門の西村和子と「知音」を創刊、共同で代表を務める。俳人協会評議員。句集に『行方克巳集  セレクション俳人 (16)』『季題別行方克巳句集』など。



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