【連載】落語と俳句 行ったり来たり/三橋五七【第3席】

馬生笠碁を梅雨と取り合わせたいと思う理由はもう一つあります。桂信子の有名句です。

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

「笠碁」は、「待った」から喧嘩別れに至る前段、長雨の中、碁を打てず暇を持て余す中段、旦那の一方が意を決してもう一方の店を訪ね、仲直りをする後段の3つのパートに分かれます。その中でも旦那たちの無聊を描く中段はとても重要。碁が打てない苦悩が深ければ深いほど、和解のカタルシスが高まるからです。

馬生笠碁の中段、やることのないまま店の真ん中に座る旦那のセリフが続きます。

「赤ん坊を泣かすんじゃありませんよ。店はまだ閉まってないんだから。……奥は暗いから赤ん坊が泣く? おっぱい飲ませなさい。苛々するんだ、赤ん坊の泣き声というのは。……こっちを向いておっぱいを出すんじゃない。おっぱいがでかいと思ってエバってんだ。嫁いびりしてるわけじゃないんです、機嫌が悪いんです」

そう、俳句初学の頃、桂信子の句を知り、懐の中でじっとりと重くのしかかる梅雨の乳房が「笠碁」の嫁のおっぱいと結びついてしまったのです。

授乳を一方的に担う女性の乳房。それは物理的に重いだけでなく、女性の社会的機能や役割を象徴し、本来の働きを終えた後も女としての刻印としてあり続ける面倒な存在なのかもしれません。その苛立ちを落語のくすぐり(客を笑わせる言葉)と並べて語るのは不謹慎かもしれませんが、私の中で二つがぴったりと重なってしまったのだから仕方ありません。

乳房の句と言えば、西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」も有名です。若い女性の乳房に初夏の燦然たる生命力を重ねた三鬼句。これは希望の乳房です。

「おっぱいがでかいと思ってエバってんだ」と言う旦那の言葉は、三鬼の生命賛歌とは違います。義理の父親の目も気にせず授乳する嫁のおっぱいは、老人に現実を突きつける「恐るべき乳房」だったのではないでしょうか。人生の真夏日をとうに過ぎ、残り時間を自覚せざるを得ない旦那にとっては、そこに存在するだけで圧倒的な生命力を放つ乳房は、いかにも「エバって」いるように映ったのだと思います。

降り続く雨、泣き声を上げる赤ん坊、そして若さを誇示する乳房。老後の趣味を失った旦那にとって、目に入る光景、耳に聞こえる音がことごとく癇に障ったことでしょう。このじとじととした湿度の高さと鬱屈には、やはり梅雨が似合うと思うのです。

「さんまは目黒に限る」ならぬ「おっぱいは梅雨に限る」。お後がよろしいようで。

金原亭馬生の「笠碁」を聴く

CDで「金原亭馬生名演集(1) 笠碁・文違い」(日本コロムビア)があり、これはAmazonのオーディオブック「Audible(オーディブル)」からも聴けます。
DVDで「落語研究会 十代目金原亭馬生全集」があり、その中に「笠碁」が収められています。


【執筆者プロフィール】
三橋五七(みつはし・ごしち)
蒼海俳句会所属。第70回角川俳句賞次席。中学1年生のときにたまたまラジオで聴いた十代目金原亭馬生の「抜け雀」に衝撃を受けて以来の落語ファン。Xアカウント x.com/Goshichi_57

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