【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【10】/辻本芙紗(「銀漢」同人)


短冊

辻本芙紗(「銀漢」同人


銀漢亭がきっかけで俳句を始めた人は、何人もいらっしゃると思いますが、私もその一人。

銀漢亭との出会いは、両親からの「銀漢亭に来て」という1本の連絡だった。私は仕事終わりに、ただ両親と飲むために、銀漢亭の扉を開けた。

通されたのは奥のテーブル席。両親はすでに何品か頼んでいて、私もビールを貰った。ふと、壁に目をやると雑誌や新聞の切抜きが貼られていた。それらをみて、店主は俳句をしている人らしいということを知った。その時の私は、「俳句って五・七・五だっけ?」なんて事を考えていたような気がする。俳句と言われると学生時代の授業の印象が強く、国語嫌いだった私にとっては、難しい言葉を使って、なんだか堅苦しくて、理解し難いものという印象だった。

そんなことを考えながら店内を見回していると、天井から幾つもの短冊がつられ、それぞれの短冊に俳句が書かれていることに気づいた。そこに書かれていた俳句は、くすっと笑える面白いものや、美しい景色が浮かぶもの、なんだか共感できるものなど、私の俳句のイメージを覆すものだった。中には、理解できないものもあったけれど、俳句を面白そうだと思った瞬間だった。

「俳句って、面白そうだね」と両親に言うと、「やってみれば」と返って来た。その後の細かいことは覚えていないが、帰る頃には、その日、お店にいらっしゃった谷口いづみさん松代展枝さんの句会に翌月出ることが決まっていた。

そんな勢いで参加した初めての句会は楽しく居心地の良い空間で、気がつけば句会の数も増え、月に何回かは銀漢亭に行くようになっていた。何回か銀漢亭に顔を出していると、銀漢俳句会の人はもちろん、何人かの常連俳人さんも覚えてくださり、声を掛けてくださるようになっていた。年数回、銀漢亭で行われる超結社の句会の手伝いをしていると、俳人の方とのネットワークはさらに拡がっていった。俳句の世界に詳しくない私は、雑誌や本で名前を見つけるたびに、驚いていた。

このネットワークは銀漢亭に留まらず、一緒に京都に旅行に行かせていただいたり、最近でもお昼を一緒に食べに行ったりしている。

銀漢亭という場所は無くなっても、銀漢亭でできたネットワークは確実に今でも繋がり、拡がりつづけているのではないだろうか。そして、私は、これらのきっかけを作った銀漢亭の短冊を七夕には思い出すのだろう。


【執筆者プロフィール】
辻本芙紗(つじもと・ふさ)
「銀漢」同人。


【神保町に銀漢亭があったころリターンズ・バックナンバー】

【9】小田島渚(「銀漢」「小熊座」同人)「いや重け吉事」
【8】金井硯児(「銀漢」同人)「心の中の書」
【7】中島凌雲(「銀漢」同人)「早仕舞い」
【6】宇志やまと(「銀漢」同人)「伊那男という名前」
【5】坂口晴子(「銀漢」同人)「大人の遊び・長崎から」
【4】津田卓(「銀漢」同人・「雛句会」幹事)「雛句会は永遠に」
【3】武田花果(「銀漢」「春耕」同人)「梶の葉句会のこと」
【2】戸矢一斗(「銀漢」同人)「「銀漢亭日録」のこと」
【1】高部務(作家)「酔いどれの受け皿だった銀漢亭」


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