俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第71回】 志摩と友岡子郷


【第71回】
志摩と友岡子郷

広渡敬雄
(「沖」「塔の会」)

 志摩は、三重県南東部の旧国名で東海道に属し、現在の鳥羽市と志摩市に当たる下国げこく。鮑、あらめ、貝等海産物が豊富で、朝廷や伊勢神宮に貢ぐ御食みけつ国であった。

安乗岬灯台(志摩観光協会)

志摩は島の意味で志摩半島は伊勢湾,遠州灘、熊野灘に囲まれ、リアス式海岸で荒々しく大王崎、安乘埼あのりざきの展望は雄大で、海の難所でもあり、戦国時代は九鬼水軍の拠点。内湾は穏やかで真珠養殖が盛んで、志摩スペイン村も名高い。海女は外海の波切、和具等に多い。南国から黒潮に乗ってアサギマダラが渡来し、古くから安乘文楽も知られる。

志摩の真珠(志摩市観光協会)
アサギマダラ
安乗文楽(人形芝居 観光三重)

ただひとりにも波は来る花ゑんど  友岡子郷

海女とても陸こそよけれ桃の花   高浜虚子

難所とはいつも白波夏衣      大峯あきら

牡蠣筏こゝの入江の潮満つ     嶋田青峰

南風(まぜ)吹けば海壊れると海女歎く   橋本多佳子

志摩の海霞みて渚澄みにけり    榎本冬一郎

ほんだはら潰し尽くしてからなら退く 飯島晴子

鰯雲大王崎へ漕ぎ出んか      橋本鶏二

黒潮の大きく蛇行蝶渡る      広渡敬雄

文楽の安乗の宿の温め酒      橋本石火

〈花ゑんど〉の句は、平成七年作で、第六句集『あくるひ』に収録。阪神淡路大震災のあと,震禍の街を離れたくなり、仲間と行った安乗埼での作、晩春の穏やかな自然があったと述懐する。「この充足の孤影に俳句と共に生きた勇者の姿を重ね、静かに静かに拍手を送る」(寺井谷子)、「この句の「ひとり」のひとりとしてこの句に励まされ、花ゑんどの可憐さに慰められる」(川崎雅子)、「「ひとり」は多くの人の孤に通じる」(井上康明)、「故郷いわき市は東日本大震災の津波で多くの人を亡くし、以来大好きな海が怖いと思うようになったが、この「花ゑんど」の明るさに救われた」(駒木根淳子)等の鑑賞がある。

横山展望所と英虞湾(志摩市観光協会)

友岡子郷は、昭和九(一九三四)年、神戸市灘区に生まれ。同十九年、父の郷里岡山県井原市に縁故疎開後、戦後帰神し、甲南大学で長谷川素逝句集を読み、俳句を始め、「ホトトギス」「青」(波多野爽波主宰)に投句。阿波野青畝指導の「神戸新人会」の仲間と「椰子会」(のち代表)を結成、同三十二(一九五七)年、山中湖畔での「稽古会」で高浜虚子に初めて接した。松蔭女子学院に勤務し、現代詩も耽読、「青」編集にも携わり、同三十八年、二十九歳で第六回四誌連合会賞を受賞するものの、同四十三(一九六八)年、俳句の出直しを決意し、「青」を辞して飯田龍太選の「雲母」に投句を始め、同人誌「椰子」も創刊する(のち代表、一九九八年終刊)。翌年第一句集『遠方』を刊行。

海女小屋体験施設さとうみ庵(志摩市観光協会)

飯田龍太から「俳句は俳句らしく純正に自立していること。理に陥らず、無垢な自然が伝えてくれるものの中で、真の自己を見いだすこと。世に阿らず、一人密かに句をつくること」との、かけがえのない箴言を貰い、同五十二(一九七七)年、晴れて、第一回雲母選賞受賞。翌年には第二十五回現代俳句協会賞受賞した。その後精力的に句集『日の径』『未草』『春隣』の刊行や執筆を行う。平成三(一九九一年、五十七歳で教員を中途退職し、翌年「雲母」終刊により「柚」(大井雅人主宰)や「白露」(広瀬直人主宰)の同人、俳壇賞選考委員となる。

濱豌豆の花(市川万葉植物園)

平成七(一九九五)年、阪神淡路大震災に遭遇、自宅半壊、書籍・資料も散失するものの一家は無事だった。翌年、震災の生々しい句も含む第六句集『翌』を刊行。その後の活躍は目覚ましく、同十八(二〇〇六)年、『雲の賦』で、第6回俳句四季大賞、同二十一年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、第六回「みなづき賞」。同二十五年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞、同三十年、『海の音』で第五十二回蛇笏賞を受賞した。令和四(二〇二二)年逝去。享年八十七歳。川崎雅子、中岡毅雄、中杉隆世等を育てた。

句集は他に『風日』『葉風夕風』『貝風鈴』。評論、エッセイには『俳句 物のみえる風景』『飯田龍太鑑賞ノート』『天真のことば』『俳句とお話』等がある。

志摩スペイン村 マヨール広場

「子郷俳句には、木洩れ日のような繊さと勁さとそして優しさがある。人知れぬ厳しい鍛錬を重ねながら苦渋のあとを止めないためか」(飯田龍太)、「言葉への好みの潔癖さがあり、どろどろとした汚れた世界に無縁な生来の詩人と言うべき人」(鍵和田秞子)、「永年私淑して「俳句に大切なものはやさしさです」の言葉に励まされた日々であった」(川崎雅子)、「友岡俳句は、「かなしさ」「さみしさ」の世界。叉の感性の一要素としての繊細さ。決して読者を高所から見下ろすことなく、常に弱者の視点を失わず、対象を仰ぎ見る」(中岡毅雄)、「詩的に洗練された瀟洒な俳句を詠み、龍太への一途な思いを貫いた人」(井上康明)、「「純潔」という印象の作品を生涯にわたって生み続けた」(岸本尚毅)等の鑑賞がある。

大王埼灯台(志摩市観光協会)

秋晴れの隅にて黒板拭はたく

柳散る直路直歩のかなしみ湧き

跳箱の突き手一瞬冬が来る

走馬燈草色の怨流れゐる

皓として臥すのみの父野分中

白湯さめしごとくに鶴の空はあり

大年の出船のあとを少し掃く

その一信植田の日矢のごとくなり

水よりも鮒つめたくて夕永し

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀

いちまいの瓦の上の手向け雛

嫁がせて一輪草は一輪ぞ

おのづから雲は行くもの青林檎

この小さき机に学び蝶の昼

夕刊のあとにゆふぐれ立葵

蝉殻や少年の日はいくさの日

冬すみれこころのうちの日なたにも

黙礼のすがたの孤松梅雨の中  六月、陸前高田

津波跡こころに虻の音一つ

原爆図よりじんじんと油蝉

冬雲雀師も通ひたる校舎見ゆ

龍太句碑笹鳴を待つごとくあり

春天の高みより何見たまふや  飯田龍太先生逝去

手毬唄あとかたもなき生家より

冬麗の箪笥の中も海の音

春の月良書に出会ひたるごとく

母を知らねば美しきいなびかり 夭折なれば

貝風鈴思ひ出うすれゆきにけり

わが一生(ひとよ)ヒアシンスまた咲きそめぬ

龍太へ一途な師事に加え、人間は「自然内存在」であると共に「社会的存在」であるとしての弱者への視点、加えて「マイナーポエット」(著名ではないが、良質の作品を書く人)との認識を生涯持ち続けた俳人であった。

(書き下ろし)

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【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。新刊に『全国・俳枕の旅62選』(東京四季出版)。


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【第69回】東吉野村と三橋敏雄
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【番外―4】 奥武蔵・山毛欅峠と石田波郷
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