【連載】
新しい短歌をさがして
【4】
服部崇
(「心の花」同人)
毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。
海外滞在のもたらす力
大森悦子の第二歌集『青日溜まり』が届いた。あとがきによると、大森は、オーストラリアのシドニーに五年間、その後の日本滞在四年間を経て、シンガポールに四年間を過ごしている。本歌集には、これらの時期に詠まれた海外詠が収められている。
大森はゴルフ好きなようだ。まずはオーストラリアのゴルフの歌から。
フェアウェイに散るユーカリの細き葉よ秋のひづめをてのひらに乗す
ラフに入りボール探せば足元をエリマキトカゲ威嚇されたり
どこに立っても真っすぐでない心地して秋のひとひのティーグラウンド
初秋の青日溜まりをよこぎりて冠毛鳩の群移りゆく
一首目、ゴルフ場に落ちている葉はユーカリの葉。てのひらに乗せて見ているところに、ゴルフに対する余裕が感じられる。「秋のひづめ」が素敵である。二首目、それでも打ったゴルフボールがラフに入ることもある。そこにはエリマキトカゲがいるらしい。三首目、これはゴルフ場のコースに出て最初の一打を打つ前のシーンだろうか。「真っすぐでない」とあるのはこれから打つゴルフボールの軌道を思っているのかもしれないが、慣れないオーストラリアでの暮らしのことを示唆しているような気もしてくる。四首目、冠毛鳩は頭部の毛に特徴のある美しい鳥だ。「青日溜まり」は大森の造語のようだ。日溜まりの色を「青」とする発想はオーストラリアにいなければなかなか生まれてこないものだろう。
次に、シンガポールの歌を引く。
赤道の風に吹かれてほどけゆく水の束生むマーライオンは
夏枯れ葉散らして走るイグアナの目線の先に落ちる太陽
ショウガ科の植物ばかり植えられた植物園で瞑想をする
歯応えの違う野菜を和えているサラダのような日常が過ぐ
一首目、いまではシンガポールにはマーライオンが何体も作られているが、そのたびに大型化しているように思われる。この歌に詠まれたマーライオンは口から水を吐くがそれは赤道の風に吹かれて「ほどけゆく」。二首目、イグアナが枯れ葉を散らして走る様子がこの一首に捉えられている。イグアナの走る際の音が聞こえてきそう。真夏の太陽が沈む頃合いという時間もいい。三首目、シンガポールのボタニック・ガーデン。ショウガ科の植物ばかり植えられているという把握がおもしろい。四首目、シンガポールにおける日常は、歯ごたえが違う野菜を和えたサラダである、との把握がなされている。
以上、大森悦子の第二歌集『青日溜まり』からオーストラリアとシンガポールにおける歌を引いた。それぞれの地における日常が大森にこれらの独特な意匠を持った歌を作らせた。海外滞在のもたらす力を感じさせる歌集としてここに紹介しておきたい。
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。
Twitter:@TakashiHattori0
挑発する知の第二歌集!
「栞」より
世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀
「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子
服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】