小谷由果の「歌舞伎所縁俳句」【第1回】高濱虚子に師事した初世中村吉右衛門

【第1回】
高濱虚子に師事した初世中村吉右衛門

(2024年9月23日歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」)

先月、九月の歌舞伎座は「秀山祭」であった。

秀山祭は、初世中村吉右衛門(1886〜1954)の生誕120年を記念して、初世の孫である二世中村吉右衛門(1944〜2021)が2006年9月から歌舞伎座で始めたもので、「秀山」はその中村吉右衛門二代ともに使った「俳名」である。

「俳名」は、歌舞伎役者が俳句を詠む際に使うものとして持ち始めたものだが、俳句を詠む詠まないに関わらず俳名を持つようになり、歌舞伎役者の名前である名跡とともに受け継がれ、やがてその俳名が独立して役者の名跡として継がれるようにもなった。(例として、市川中車の「中車」はもともと市川八百藏の俳名であった)

初世中村吉右衛門は、秀山という俳名を句作開始前から持っており、俳句を始めたのは1926年にホトトギス主宰の高濱虚子に師事した時からで、俳句を詠む際には秀山ではなく、吉右衛門の俳号を使った。1944年には、ホトトギスの同人に推薦された。

歴代の歌舞伎俳優の中で、俳人として最も名高いのが、この初世中村吉右衛門である。

吉右衛門の句集は生前に3冊、没後に1冊出版されている。

(生前)
1941年『吉右衛門句集』(中村吉右衛門著、中央出版協会)
1947年『吉右衛門句集』(中村吉右衛門著、笛発行所 ※2007年 本阿弥書店 新装版)
1948年『俳句集楽屋帖』(中村吉右衛門著、青園荘)
(没後)
1955年『中村吉右衛門定本句集』(中村吉右衛門著、三宅周太郎編、便利堂)

私の蔵書として手元にあるのは、没後に出版された『中村吉右衛門定本句集』。あとがきによるとこの定本句集が、未発表の新しいものなどを全部まとめたものだそう。1931年から1950年までに詠まれた句と、写真が収められ、師である高濱虚子が序を書いている。

虚子の序には、吉右衛門の句についてこう書かれている。

「俳優社會の風俗習慣はどんなものであつたか、それは知らないが單純卒直なものではなかつたらう。氏は何物かを欲した。弓を學んだ。それもいくらかその心の飢えを癒したものであつたらう。さうして遂に俳句を選んだ。これに依つて今までの社會に求めて得られなかつたものを見出し得たものと思ふ。氏は多作ではなかつたが、心から俳句を愛した。氏の句は純粹卒直、なんの求めるところもなく、何の衒ふところもなかつた。氏は最も俳句を善解した人であると思ふ。」

そして虚子から吉右衛門への追悼句も掲載されている。

たとふれば眞萩の露のそれなりし 虚子

吉右衛門自身は、俳句についてこう語っている。

「深く道へ入って行けば行く程、妙味は津々として尽きず、嬉しいにつけ、哀しいにつけ、それを句に致してどんなに心を慰められましたことか、そして、芝居に限らず、芸術の道は所詮同じである事を知って、どんなに感動致しました事か、今では、よくぞ俳句を本気で学び始めたと、心から幸せに思って居るのでございます」(『吉右衛門自伝』啓明社)

虚子は吉右衛門からの依頼を受けて、俳句にちなんだ歌舞伎の脚本『髪を結ふ一茶』『嵯峨日記』を書き、それを吉右衛門が演じている。『髪を結ふ一茶』は、1935年11月に東京劇場で演じられ、それに際して吉右衛門はこの2句を詠んでいる。

一茶忌の句會すませて樂屋入

一茶忌に一茶つとむる役者かな

また『嵯峨日記』は1943年11月歌舞伎座で演じられ、芭蕉役を演じる際にこの3句を詠んでいる。

芭蕉忌や落葉踏むにも心して

芭蕉忌や芝居となりしさが日記

好きなこのせりふ覺えて頭巾著て

1953年4月、浅草寺に隣接した三社様(浅草神社)に、吉右衛門の句碑が建てられ、吉右衛門自身も建碑式に立ち会っている。

(浅草神社「初代中村吉右衛門句碑」解説)

(初世中村吉右衛門句碑)

女房も同じ氏子や除夜詣

吉右衛門は、浅草観音裏の浅草象潟町生まれ。吉右衛門の生まれた1886年は、木挽町に初代歌舞伎座が出来た1889年よりも前であり、旧猿若町(現在の浅草6丁目)に芝居小屋が集められた江戸時代の名残で、まだ芝居関係者の住居が浅草に集まっていた。浅草神社の境内には他にも、初代市川猿翁、久保田万太郎といった歌舞伎関連の句碑が建っている。(初代猿翁、久保田万太郎については、この連載でまた別の機会に。)

(歌舞伎座3階席からの風景)

さて、先月の秀山祭では、五代目尾上菊之助と十代目松本幸四郎が大活躍であった。特に菊之助の「摂州合邦辻」玉手御前と、幸四郎の「勧進帳」弁慶が見どころだった。「摂州合邦辻」は、初世吉右衛門が合邦道心をたびたび演じてきたゆかりのある演目。また「勧進帳」は、二世吉右衛門が80歳で弁慶を演じることを目標としていながら77歳で亡くなられたことから、「二代目播磨屋八十路の夢」として上演された。

五代目尾上菊之助の妻は、二世吉右衛門の娘。そして十代目松本幸四郎の父・二代目松本白鸚は二世吉右衛門の兄。幸四郎は甥にあたる。どちらも縁戚である。(二代目松本白鸚も俳句を詠むので、こちらについてもまた別の機会に。)

特に幸四郎の弁慶は、花道での飛び六方の表情が本当に二世吉右衛門に見える瞬間があって驚いた。今年2024年は、二世吉右衛門がご存命ならば80歳の年。幸四郎の身体に入った藝を通して、二代目播磨屋(二世吉右衛門)の魂が夢を叶える瞬間を観たようだった。

(歌舞伎座外に貼り出された勧進帳のポスター)


【執筆者プロフィール】
小谷由果(こたに・ゆか)
1981年埼玉県生まれ。2018年第九回北斗賞準賞、2022年第六回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞、同年第三回蒼海賞受賞。「蒼海」所属、俳人協会会員。歌舞伎句会を随時開催。

(Xアカウント)
小谷由果:https://x.com/cotaniyuca
歌舞伎句会:https://x.com/kabukikukai


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