朝の氷が夕べの氷老太陽
西東三鬼
私の実家の近所には小山と呼ぶにも小さいごくこぢんまりとした緑地があって、そこに、少年の膝丈ぐらいの深さの小さな池があった。円形というよりも横に広がったような形で、一番窄まったところでは、一足飛びに池の向こう側へ飛び越えて行けるような池である。
昔の話であるが、ひどく冷え込んだ年の、雪の積もった朝に、この池に人が一瞬立てるほどの厚い氷が張ったこともあった。
あえて一瞬と書いたのは、地面へ戻ろうと片足に踏ん張りを効かせた途端に、その氷を踏み抜いてしまったからである。
先ほど「少年の膝丈ぐらいの深さ」といったが、厳密にいえば、中学校一年生、身長161センチの少年の膝ぐらいの高さである。より正確を期すのであれば、私は、昔からそれほど脚の長い方ではない。そんな膝であった。
朝の氷が夕べの氷老太陽
朝張っていた氷が、日中の日差しに溶けることなく、夜になってものこっている。句の示す景としてはそんなところであるが、「老太陽」という一語の独創によって、全体に言いようのない不安がたたえられている。
「朝の氷が夕べの氷」というのは、一種言葉遊び的な見え方もしようが、「朝」から「夕べ」へと、時間設定のみを動かして最低限の言葉で朝から夜への経過を示したことに、単に「氷」によるものではない無機質なつめたさが立ち現れてきている。
そうした不安やつめたさをはっきりと描き出すのは、なにより「老太陽」の「老」の一字であろう。この一字の表現によって、「朝の氷」が「夕べの氷」となるまでのこっていたことに、太陽の衰退という因果が含められることになる。
冬が深まり、実際に太陽の光がおとろえてくる頃ではあるが、老いという不可逆的な変化をもって「太陽」を捉えたことに、季節の回帰性などをまったく隔てて、あたかもこのまま太陽が衰退の一途を辿るかのような不安が起こってくるのである。
一句の景色はすでに「夕べ」へとさしかかっており、弱々しい昼の「老太陽」がもはや過ぎ去ったものとして感知されていることにも注目しなければなるまい。
そして繰り返し述べるこの「不安」が何を示すかといえば、やはり時代そのものにべったりと固着していた不安に他ならないであろう。この句の詠まれた昭和二七年は、戦後の混乱期から高度経済成長へと向かう過渡期であった。
世間が戦争特需による景気高騰に湧き、次から次へとモノが、あるいは社会そのものがつくり変えられていくなかで、三鬼の眼はいったい何を捉えていたのであろうか。
『変身』所収。
(加藤柊介)
【執筆者プロフィール】
加藤柊介(かとう・しゅうすけ)
1999年生まれ。汀俳句会所属。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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