【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#13

【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#13


今月より第3日曜日にお引っ越し。気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし歌人だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただくコーナーです。今月のお題は、櫂未知子さんの〈春は曙そろそろ帰つてくれないか〉。ユキノ進さん・鈴木晴香さん・三潴忠典さんの御三方にご回答いただきました。


【2022年4月のお題】


【作者について】
櫂未知子(1960-)は、北海道の余市生まれ。国文学を学んでいた20代、「音」短歌会、「玲瓏」短歌会を経て、1990年に大牧広主宰の「港」俳句会に入会(その後の97年、佐佐木幸綱に出会い、歌誌「心の花」入会)。男女の性愛やドライな口語調の句を発表して話題を呼ぶ。第一句集『貴族』にて第二回中新田俳句大賞を受賞。中原道夫主宰の「銀化」に入会、2013年に、開成高校俳句部顧問の佐藤郁良(「銀化」同人)と「群青」を立ち上げて共同代表を務める。第三句集『カムイ』(2017)により第57回俳人協会賞などを受賞。


【ミニ解説】

「ぶぶ漬けでもどうどす?」と京都人が勧めてきたら、「早く帰りなさい」という意味だ、というのは、京都に馴染みのない人間にとっては「口裂け女」のごとき都市伝説のようなもの。

京都人がいまもそんな「いけず」な言い方をするかはわかりませんが、それなりに長居をした相手であっても、「ちょっと夕飯の支度があるので」と自分の都合で追い払うのは、全国どこに住んでいても、気が引けるというものでしょう。のんびりした春の気持ちいい日ならば、なおさら。春の日差しのように、やわらかな表現を選びたいものです。

この句の「そろそろ帰つてくれないか」だって、内心思っているだけの話であって、面と向かって言ったわけではないのかもしれません。自分にしか聞こえない「心の声」を、全員に聞こえるように書いていると考えてみてもユーモラス。

とはいえ、ポイントは何といっても冒頭の「春は曙」。枕草子の有名な書き出しですね。春の陽気を伝えるだけなら、「あたたかや」「のどけしや」「春の日や」「永き日や」など、ほかにもさまざまな季語がありますが、「春は曙」。この文句(?)をパロディ的に季語として使った例は、なかった。史上初だったかどうかはわからないけれど、限りなく史上初に近かったはずです。思い切りのよろしい字余りもおおいに納得。

古典のパロディと口語調のミックスによるライトヴァース。それは、バブル期に20代を過ごした作者が、大学で国文学を研究しながら、当時の短歌の世界で起こっていたことを無視できなかった結果として、生まれたものだったのかもしれません。

「春は曙」という言葉によって、女のもとを訪れた男が朝方に帰っていく「後朝の別れ」のことを、現代人であるわれわれは、思い出すことになります。平安貴族であれば、「もう帰っちゃうのね」という甘美な和歌を交わしていたのに、平成貴族であれば、「そろそろ帰ってくれないか」。なにせ当時は、越乃寒梅のような淡麗辛口のお酒と、アサヒスーパードライが流行した時代。ちなみに、櫂未知子さんが1996年に出した句集のタイトルは『貴族』。〈ぎりぎりの裸でゐる時も貴族〉から採られています。

「そろそろ帰つてくれないか」のお相手は、前の晩にディスコで知り合い、酒の勢いで意気投合して、ワンナイト・ラブをした男(あんまり身に覚えのない)が、まだベッドのなかにいて、朝が来てもタバコをふかしていたりするのかもしれません。いまの若い方はいまひとつ想像がはたらかないかもしれませんが、ええ、そういう時代はかつてはあったのです。

この句は、このコーナーが始まって以来、一、二を争う「短歌っぽい俳句」かもしれません。さて、歌人のみなさまは、どんなふうに料理してくださるでしょうか。



そろそろ帰ってくれないか。春にいちばんそう思っているのは桜の木じゃないか。ああ春が来た。いよいよ思う存分咲こう、と思っていた矢先、周りに派手なブルーシートが敷かれて、ビールやら寿司やらを持った人間たちがどこからともなく集まってくる。なんだなんだ私のことをそんなに綺麗だと思ってくれているのか。それなら思いっきり満開にしてみせようじゃないか、そう意気込んでみるのだけれど、実のところちゃんと花を見てくれているような様子はない。映える角度で写真を何枚か撮ってからは、もう食べ物とお喋りとインスタに夢中なのだ。ああ、そろそろ帰ってくれないか。桜は花びらをいっせいに散らす。ビールにもブルーシートにもスマートフォンにも花びらを投げ込んで、さあ帰った帰ったと人間を追い返す。桜はずっとそうしてきた。

2年前のことだ。新型コロナウイルスが猛威を奮った初めての春。桜の名所は軒並み立ち入り禁止になった。誰もいない桜並木はとても自由で、春の風だけが静かにその空間を満たしていた。満開だ。でもほんとうは寂しかったのかもしれない。そろそろ帰ってくれないか、って独りごちている、そんな感じだった。

(鈴木晴香)



大相撲は好きです。物心ついたのは、千代の富士活躍の晩年でした。間もなく若貴ブームが到来。迫力満点の曙に、若貴の援護射撃をする藤島部屋(二子山部屋)という構図に手に汗を握りました。毎日テレビに映る「満員御礼」の意味を知らず、土俵に飾るおまじないと思っていたものです。

曙に2秒7で押し出された貴花田ですが、貴ノ花、貴乃花となるにつれて諸手突きに耐えてまわしを取るようになります。他の力士も対策を立て、下半身が崩れた曙が土俵に転がる光景が増えました。最強の曙は、もう見られなくなってしまうのだろうか。

そんな1994年3月場所は、12勝3敗で優勝決定の巴戦にもつれ込みました。曙に加えて、曲者の大関貴ノ浪、曙キラーの貴闘力と、役者は揃いました。曙は貴ノ浪、貴闘力を撃破。実況アナウンサーは高らかに叫びました。

春は曙、春は曙。

枕草子の冒頭。朝焼けの空の下、中宮定子と清少納言の前で、力強く四股を踏む横綱曙を思い浮かべてしまうのは、私だけではないはずです。

(三潴忠典)



大学を出て東京で働き始めたころ、住んでいた部屋には鍵をかけていなかった。特に盗られるような高価なものがなく(たぶんいちばん高価なものは洗濯機)、カギをかけるのが面倒だったからだ。しばらくして友人ができ始めると僕の部屋には多くの人が出入りするようになった。誰かが大量に持ってきたCDを夜通し聴いたり、レンタルで借りてきた映画の三部作をみんなで一気見したりした。やりかけのロールプレイングゲームを勝手に進められていたときは「そろそろ帰ってくれないか」という気持ちになったが、それでも部屋に鍵をかけることはなかった。ひとりで部屋にいるのが寂しかったのだろう。若かったのだ。

歳をとるとひとりでいることが平気になってくる。新潟に赴任していた時は、金曜の夜に会社を出てから月曜の朝まで誰とも会話しないこともしばしばあった。深夜に長い電話をかけることも、一人の部屋に帰るのがいやで朝まで歌うこともない。

海岸に行って半日文庫本を読んでいるのもよい週末だと思うようになっていた。

おとなはさびしくていいのだ。

(ユキノ進)


【今月、ご協力いただいた歌人のみなさま!】

◆鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京生まれ。慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒業。塔短歌会所属。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに短歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)Readin’ Writin’ BOOKSTOREにて短歌教室を毎月開催。第2歌集『心がめあて』(左右社)が発売中! Twitter:@UsagiHaru


三潴忠典(みつま・ただのり)
1982年生まれ。奈良県橿原市在住。博士(理学)。競技かるたA級五段。競技かるたを20年以上続けており、(一社)全日本かるた協会近畿支部事務局長、奈良県かるた協会事務局長。2010年、NHKラジオ「夜はぷちぷちケータイ短歌」の投稿をきっかけに作歌を始める。現在は短歌なzine「うたつかい」に参加、「たたさんのホップステップ短歌」を連載中。Twitter: @tatanon (短歌なzine「うたつかい」: http://utatsukai.com/ Twitter: @utatsukai

◆ユキノ進(ゆきの・すすむ)
1967年福岡生まれ。九州大学文学部フランス文学科卒業。2014年、第25回歌壇賞次席。歌人、会社員、草野球選手。2018年に第1歌集『冒険者たち』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@susumuyukino



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