たちまちに蜩の声揃ふなり 中村汀女【季語=蜩(秋)】


たちまちに蜩の声揃ふなり

中村汀女

 早いもので9月最終日である。例年以上に本来の9月らしく、過ごしやすい気候の外を歩くのが嬉しいこの頃である。もうそろそろ我が家付近の今年の蝉は絶えそうだが、最後は蜩の句を鑑賞してしっとりと連載を終えようと思う。

 掲句の主体は蜩の声に気付き、意識を向ける。そうするとたちまちに複数箇所からそれぞれに鳴いていた蜩の声が揃ったと言うのである。蜩の声を分解した時の「カ」と「ナ」の音が高速回転してどちらがどちらかわからなくなっていく様子だと考察した。あるいは、もっと抽象的な、意識下での揃い方かもしれない。

 蜩を聞く状況とはさまざまである。掲句の場合は、発見の朗らかさと、時間の動きが描かれていることから、特に重要な目的がない状態で外を歩いている様子を想像したが、本来、外を歩いていても、郊外でもそれなりの街の中でも聞こえてくるし、もちろん静かな部屋の中でも蜩に耳を傾けることが可能である。少し気温の高い日などは、眠りにつくまでの間にも蜩の存在を感じられることもあるだろう。例えば眠ろうとしているときにも感じる感慨なのかと言われると違いそうな気がしてくるのは不思議である。
 「たちまち」という言葉の主観性への信頼のおけなさもまた、蜩を楽しむ風情を強調する。大掴みな把握は素直な実感として、事実を離れて聞き入っているような、現実味のある虚構の美しさを導く。

 2025年に本記事と同じハイクノミカタのマンスリーゲストとしての執筆の機会を得た際に、「客観」というものの存在し得なさに関して述べたが、およそ1年半後の今、「客観」とは未だ存在しないものだとは思っているものの、作者の自覚と読者の納得を以って同じものを同じように見ることで、限りなく近づくことができるのではないかとは考えるようになった。もちろん、自分と他人が同じものを見ていることの確証を得る方法はないため、俳句の言葉の削り方、足し方をどこまでも極めていかなければならないという事実を忘れてはならない。掲句の「たちまち」などの大胆な主観もまた、読者との客観の視座を繋ぐ大切な要素として考えていきたい。

 連載の裏テーマとして、2ヶ月間に渡って、ときめきを感じたがその良さを理解するに至っていなかった俳句を鑑賞することに取り組んできた。平易な言葉の並びが作る大きな引力と向き合ったことは有意義だった反面、自分自身が言語化しきれない感動の奥行きを表現することを試みたため、読みづらい部分が多々あったであろうことを陳謝する。

 最後にみなさま、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。これからも私はあちこちで「なぜだかすごく惹かれた俳句」の話をしていると思いますので、見かけたら是非お声がけいただけたらと思います。

(野城知里)


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


【管理人より】ハイクノミカタ(2025.1月-2月)連載分もお見逃しなく!(全8回)


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