女房の化粧の音に秋澄めり
戸松九里
家内、奥さん、ヨメ、嫁さん、かみさん。近頃の男性は自分の配偶者をどう呼んでいるのだろう。ワイフ、かかあ、山の神、なんてのはさすがにないだろうなあ。
女房、という呼称もめっきり耳にしなくなった。恋女房、世話女房、古女房…。ほかの呼び方にはない艶と人間の営みの匂いがして、私は好もしいと思う。ただし、新婚さんがいきなり使うのはしゃらくさい。洗濯を重ねて風合いの出てくるシャツみたいに、「いや、女房がさ」という口調が板につくにはそれなりの夫婦の歳月が必要なのだろう。
女房の化粧の音に秋澄めり 戸松九里
本来視覚に訴える筈の化粧を専ら聴覚で捉えているのが面白い。「秋澄む」は空気が澄み物の形がはっきりと目に映ることを表す季語だが、澄んだ空気が物音をさやかに耳に届けるという意味も合わせ持つ。わずかなノイズが静寂を引き立てるように、この句ではそこはかとない化粧の音に寄せて深まる秋の静けさを鋭敏に感じ取っている。
妻が外出する日。自分は留守番を決め込んでいる。鏡台に揃えた様々な化粧品やメイク道具を取り上げたり戻したり。普段なら耳を通り過ぎていく音をふと聞き留めたのはひっそりとした室内の所為だ。いや、音を耳が感じて初めてそれまでの沈黙を知ったのだ。
肌を入念に整え、眉を描き足し、アイラインを引き、頬紅を刷き、唇の輪郭を取って口紅を塗ったらティッシュを咥えて余分な紅を落とす。見知った一連の動きだから彼には音の気配だけでそのプロセスが手に取るようにわかる。・・・仕上がったらしい。女房としての家居の気安さを脱ぎ、よそゆきの表情を纏った一人の女性を亭主はまもなく送り出すだろう。
掲句を収めた句集には<迎火や妻のなまりの五ヶ瀬川>という佳句も見える。よっ、愛妻家!と囃すだけでもいいのだが、二つの句を並べると、「女房」と「妻」では心のアングルが微妙に違う。試しにそれぞれの句のその部分を入れ替えてみればいい。単なる字数合わせで嵌め込んだのではないことが分かる。
因みに戸松九里の奥方は麻里伊といい、やはり俳人である。俳号の由来は”キューリ夫人”だから。大喜利かい!
(『や』 東京四季出版 1989年より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。