
己が傷を舐めて終りぬ猫の恋
清水基吉
明日は2月22日(にゃんにゃんにゃん)で猫の日。土曜担当の当方にはしばらくあたらなそうなので1日早いのだが猫の句を取り上げることにした。
こんな話を聞いた。家人がアパートに住み始めた翌日、猫が入ってきてそのまま居ついてしまった。アパートといってもロフト付きで、いわゆる「〇〇荘」的なイメージのものではない。ゆえに猫を飼うことはOKだったのだろう。ミースケと名づけた。
さて春になると猫の恋が始まるのだが、その中でひときわオス猫からの人気が高い一匹がいた。だがミースケには全く勝ち目がなく、いつもすごすごと引き返すのだった。
それを見ていた家人はある日、そのメス猫(奥さんと名づけた)を家に連れ帰った。奥さんは当初興奮状態だったが、一日もするとミースケとの距離はしっかりと縮まっていた。せっかく仲良くなったのにミースケはいつしか家に寄り付かなくなってしまった。
奥さんは引き続き家にいた…というよりは出入り自由だったので、ロフトが奥さんの居どころのひとつになっていたというべきだろう。その奥さんが4匹の仔猫を生んだ。柄から判断するに、明らかにミースケの仔である。その後奥さんは仔猫1匹だけを連れてどこかに消えてしまった。
残された仔猫たちの動向については諸々勘案した結果割愛させていただく。
後日近くを通りかかったら、ミースケと思われる猫は傷だらけだがでっぷりとした立派な体格に育っていたという。弱かったオス猫があるきっかけですっかり強くなる。人間に置き換えたら青春ドラマのような展開だ。
己が傷を舐めて終りぬ猫の恋
猫の恋には激しい争いが伴う。喧嘩をするようであれば掲句は家猫ではなく野良猫や地域猫。争いの声を聞くことは珍しくないが、その傷を見てしまった時の衝撃は忘れない。人間なら大騒ぎして周囲の同情をひこうとする者もあるだろう。しかし野良猫なら自分で治すしかない。傷を舐めるというと傷の舐めあいが連想され、自分で自分の傷を舐めて治す猫の強さが際立つ。
「終わりぬ」と言い切るのも潔い。しかも負けて終った恋。どのような恋であれ、終わったという判断は厳しいものだ。その猫の中で終わっているかどうかはわからないが、はたから見てもう次はないものと確信したのだろう。
傷はいつか癒える。しかし傷口を見せる相手は選ぶべきだ。傷ついたら猫のように自分で自分の傷を舐め、「毛づくろいですけど?」という顔をしておき、後でどう面白く話すか考えを巡らせるのが現時点での私のなかの正解なのである。
『清水基吉全句集』第5巻『浮橋』(1982年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】

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