蔓の先出てゐてまろし雪むぐら
野村泊月
今年もあと2週間、日本のあちこちで初雪が降った。
週の半ば、仕事のあとに通夜があって、すっかり冷え切って最寄り駅に戻る。
まだ、早い時間だったけれど、あたたかいものが食べたかったし、帰って作る元気もなかったので、仕事が遅くなる時によく寄るラーメン屋へ。
味噌ラーメンと、ほんの数秒迷って生ビール、食券制がそのハードルを下げる。
遅い時間に来ることの多いその店は、早いせいかこの日は空いていて、顔は覚えてくれているけど、あまり話したことはない店主と話すことになった。
話の流れで俳句をしているということを言うと、「じゃあ、俳人なんだ」という。なぜそれをと問うたところ、「俳人殺すにゃ刃物は要らぬそれがどしたと言えばいい」から知ったという。都都逸である…。
なお、俳人といわれて思い浮かぶのは北大路翼だという、都都逸と翼、いい飛躍だ。
ところで、「それがどした」で殺すことのできない俳人だっている。例えば、野村泊月、きっといちいち「それがどした」を言う方が疲れてしまうだろう、「それがどした」句こそが、この人の骨頂であるからして。
掲句の「雪」は、虚子編歳時記で十一月に分類されている「初雪」ではなく、降雪地帯の、しかも相当に本格的な雪景色。
葎、つまり藪に雪が降り積もって中が見えず、あいまいな輪郭と記憶の位置だけでかろうじて藪とわかる。
そう、それにもうひとつ、蔓。
雪は降りながらものの尖りを失わせ、どんどん丸みを帯びてゆく。ぽわわん。
「丸み」は、雪の「時間」がかたちとして現れたものでもある。
そんなまろやかな曲線の世界にひとつ、雪を抜けて飛び出した蔓先の尖り。つんつん。
蔓の先は風に柔らかくしなって、それが土のふくらみではなく、「むぐら」であることを凛々と告げている。
一見、「それがどした」と見える言葉の中にも、静かに多くの真実が横たわる。
それを(あたたかい部屋で)味わうのが、「それがどした」では得られない俳句の喜びなんじゃないだろうか。
さあ、みなさん、金曜です、週末も冷えそうですが、あたたかな部屋で静かな週末を。
『旅』所収 1937年
(阪西敦子)
【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。