酒庫口のはき替え草履寒造 西山泊雲【季語=寒造 (冬)】


酒庫(くら)口のはき替え草履寒造

西山泊雲(にしやまはくうん)()()()()()))


寒い上に、何かあわただしい。正月からまだ体が戻り切っていないのかもしれない。

そういえば、ようやく黒豆を食べ終わったのも、今週はじめのこと。みなさん、そんな金曜です。

例年、お節は実家に帰って食べて、三が日が終わるころには東京に帰っていた。しかし、今年は実家には帰らないことを早々と決めた。すると年末に、実家から黒豆が送られてきた。乾いていてほぼ球形、触れ合ってさらさらとなる黒豆は思ったより重い。

翌日、野菜をくれるというご近所俳人・近恵姉からの連絡があって、交換で黒豆の半量ほどをもらってもらった。残り3カップ、これなら大丈夫と水に浸した翌朝、鍋からあふれんばかりに黒豆は増殖し…。

というわけで、ほぼ在宅勤務していたこの2週間、おかずとして、おやつとして黒豆を食べ続け、約3週間かけて食べ終わった。もう、しばらくはいい。

その黒豆、もとはと言えば丹波にルーツのある父の親戚から送られてきたもの。でも、黒豆好きの友人が東京で購入したものも丹波のもので、もう、黒豆と言えば丹波なんだけれど、俳句で丹波と言えば、「丹波二泊」、去年取り上げた野村泊月とその兄、西山泊雲である。

先々週取り上げた中井余花朗の「浪の音酒造」は、現在その孫にあたる三兄弟が酒造りをしているが、こちらはそれ以前の酒蔵の兄弟。しかし、「丹波二泊」とは、その酒造りにおける名声ではなく、その俳業、とくに「写生の徒」としての名声である。

前々回、中井余花朗の句は、句の中には言葉として「寒造」を含んでいなかったといっても、やはり「寒造」の句。隔週で同じ季題というのは…なんてことを気にしないのがハイクノミカタのいいところ。

さあ、堅田もだけど、丹波でも寒造。そのさなかにも泊雲の写生眼は健在だ。

酒を酒たらしめるものに酵母、つまり菌があって、よい菌こそがよい発酵を作り出しておいしい酒を造る。そこへ、余計な菌を持ち込まないため、また、そうでなくて衛生面からも、酒造りをする酒蔵の中は清潔で、外から余計なものが運び込まれてはならない。草履裏に酒の醸成を妨げるようなうまくない砂を付けて入り込まないようにするための「はき替え草履」であろうと思われる。

「はき替え草履」があるということは、酒蔵に人が入るということ。ああ、寒造が始まったなあという感慨だ。

しんとした寒さの中にあって、広々とした敷地の中の、ほんの小さな変化だが、真新しいその草履には活気と機敏さが満ちている。

自分を「愚鈍」と言い「朽臼」にシンパシーを寄せる(臼も酒もまた米の縁語だ)泊雲は、この静かに満ちてゆく瞬間を見落とさない眼力によって、弟・泊月とともに「丹波二泊」と称されたのである。

今、「丹波二泊」を検索すると、当然と言えば当然だけど、丹波への二泊三日、あるいは一泊二日の旅の案内が出てくる。現在は中止されているだろうが、いつか酒蔵見学にゆけば、またこの句を思い出すだろう。入口で支給される不織布のヘッドキャップとマスクを、おいしくて安全な酒造りのため身につけ、入口に並べられたゴムのサンダルかスリッパに履き替えたりしたい。マスクなんて久しぶりだね、ここの耳に掛ける紐のところを持ってつけはずしするんだったよね、なんて言ったりしながら。

『泊雲』(1964年)所収

阪西敦子


【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。



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