死に体にするはずが芒を帰る 平田修

死に体にするはずが芒を帰る

平田修
(『白痴』1995年ごろ)

「死に体」とは相撲の用語。相撲規則勝負規定によれば「重心を失っている時、即ち体が死んでいる時」という記述がある。つまりその状態になった瞬間に勝敗が決するということを意味しており、仮に「死に体」となった力士より相手方が先に手をつくなどした場合でも「死に体」となった側の負けとなる(相手を「死に体」に追いやる際の転倒や手つきは「かばい手」として許容される)。このことから転じて、崩壊・破滅に向かっていくほかない状況となった組織や個人のことを表す言葉として使われることもある。

死に体とされる状況はほとんどの場合他者や環境といった外的要因によって”なってしまう”ものであるが、掲句では”する”という自動詞が続いている。これは平田句、とくに『白痴』以降によく見られる自傷的な傾向の典型例。森羅万象を自己の苦しみに引き付ける「負の引力」とでも呼ぶべきその特徴が顕著に表れている。掲句で「死に体」とはダイレクトに「死にたい」という言葉を示唆しており、その自傷に終止符を打たんとして芒原に乗り込んだ主体が示される。結果としてそれは叶わなかったわけだが、芒の海に消えていった者が再び姿を現すまでの葛藤は読者に提示されない。こうした心情深部の隠匿も平田句の特徴といえるが、一方でこれは俳句形式そのものがその短さを所以として備える特徴なのかもしれない。


私性というトピックの、中でも「作者の顔」などというキーワードに思いを馳せるとき、句や評論で以ってその顔つきを描き出す営為は俳人にとって欠かせないアイデンティティであると同時に、作者自身だけが持つ特権行為であると思う。というより、思いたいと思っている。無論、句に対する鑑賞や著書に対する評論といった外部からの言葉たちによってその顔つきが違って見えてくることもあろうが、それは顔つきそのものを描き換えるものではなく、あくまでもその見せ方を提示するカメラワークでしかない。自分の顔を作り上げるのはあくまでも自分自身であり、他者のカメラを通して見える俳人の「顔」も、そのベースはその人自身によって組み上げられているということを忘れないようにしたい(無論、このスタンスは作品至上主義やマッチョイズムに立脚しているために”万人受け”するものではない、というのは承知の上である)。

その考えに立つと、僕がこうして無名の物故俳人を”紹介”し、その作品の読解を通して作家像を描出するこのコーナーが極めて傲慢な行いに思えてくる。同じ物故俳人といっても俳句史上で重要な位置を占める俳人の場合は多くの論客に引用されるため、相互の監視作用や読者の視線によって多角的な映像が立ち現れてくるだろう。対してこうした(俳壇的に)無名の俳人の描写はその性質上平面的な映像になりがちだし、なにより評者の趣味嗜好・バイアス・思い入れが多分に入り込んでしまう。先ほど「作家の特権」であるとした作家性の創作を他者が勝手に代行するような形になるのだから、おそろしい矛盾である。もちろん語るべき人や作品を埋もれさせないために重要な営みだというのは当然理解しているし、理解しているからこそこういうことをしているわけだが、この葛藤はときどき訪れる。一方で、この評論群自体も僕という俳人の顔つきを形成する活動でもあるから、いそいそとやめるわけにはいかない。これ以上責任のマトリョーシカを積み上げても仕方ないのでこの辺りで終わっておくが、一応こんなことも考えているんだよという論者のささやかなアピールとして鼻で笑ってもらえれば幸いである。最後に、『白痴』に収録されている芒の句を二つ紹介する。

腸に雪詰め込んで芒でいる 平田修
芒より俺はうすいうすい言う

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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