コーヒーに誘ふ人あり銀杏散る
岩垣子鹿
小春というにも温かすぎた先週から打って変わって、今週は冬らしい晴れの日が続いた。
みなさん、金曜日です。
銀杏の黄葉は日当たりによるもの、日照時間によるものというのが、わたしの周りの定説。真偽のほどは知らない。しかし、ところどころにある並木を見てみれば、そんなものかもしれないとも思う。一斉にということはあまり見かけない、銀杏はそれぞれに黄葉し、ある日降り始める。
「黄落」とは「黄葉」したものが、降ること。銀杏の下に黄落は起こる。
一方、「コーヒーに誘う」とは何だろうか。
コーヒーにはむやみに誘わない。日中であればまだ話があるとき、夜であれば食事の後に何か別れがたいとき。いずれの場合も、すでに会っていて、その延長の感がある。もともと、コーヒーだけを飲むと想定されている場合はあまりない。保険外交員のひととの、打ち合わせくらいだろうか。
それだから、コーヒーに誘うことは、そもそも予定されているものではない。もちろん、誘う側にとっては、当初計画のものかもしれないけれど、すくなくとも誘われる側にとっては、(ある程度予感しているものもあるかもしれないけれど)予定に入っていないハプニングだ。
そのためだろう、「コーヒーに誘う・誘われる」ことには、ドラマティックさが伴う。そして、それに誘発されたように(もしかしたらそれ以前からかもしれないけれど、突然に景に意識されたのだ)、銀杏が散る。
映画やドラマであれば、一瞬の静寂ののち、音楽が鳴るだろう。私の世代であれば、「タカターン…」、あの曲だけれど、この句では中七の終わり「あり」のところで一瞬の静けさ、下五「銀杏散る」で雑踏や葉擦れの音が戻る。
実際のところ、職場のメンバーでの昼食や、仲間内の集まりのあとというだけかもしれない。そんな、ありふれた一幕であっても、予定外の行動を促す「コーヒーに誘う」は、どことなく華やかだ。まして黄落の中であればなおさら。
さあ、みなさんに予想外のことが起こる、週末となりますように。
(『やまと』所収 2006年、岩垣子鹿・著)
(阪西敦子)
【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。