ハイクノミカタ

行く雁を見てゐる肩に手を置かれ 市村不先【季語=行く雁(春)】


行く雁を見てゐる肩に手を置かれ

市村不先

 今日は、2023年3月の最後の日である。今年の初めに「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と時が経つのは早いことを書いたが、この連載を書き始めてまさにあっという間の3ヶ月だったような気がする。3月は「去る」だが、去ったのは月日だけではなく、鳥たちもである。「鳥帰る」「引鶴」「引鴨」「帰る雁」は3月の季題であり、越冬のために渡ってきた鳥たちが北方へ帰る季節である。

  行く雁を見てゐる肩に手を置かれ 市村不先

 掲句は、雁が北へ帰って行くのを見ていると、後ろから肩に手を置かれたという句である。行く雁を見ているのは作者、肩に手を置いたのは父親であろう。雁は作者自身を投影しているのではないだろうか。想像だが、作者は4月から新天地へ出発する。雁を見ながら、新しい世界への期待と不安を感じていた。そんな折に、父親が息子の気持ちを感じてか、そっと肩に手を置き無言のエールを送った。息子の旅立ちを喜びつつも寂しく思う父親の気持ち。息子はその手の温もりを感じながら旅立って行った。そんな情景が浮かぶ。

 市村不先(1898年~1988年)は栃木県宇都宮市生まれ。高浜虚子、年尾の指導を受け、「ホトトギス」同人。朝日麦酒株式会社を定年退職後、群馬県高崎市に中央外科病院を創設。俳誌「桑海」主宰。俳句活動は、「ホトトギス」を中心に「玉藻」「欅」「山彦」「冬扇」「山茶花」など幅広い。知人は不先のことを円満な性格の持主、未だかつて人と争った事を聞いたことがないと語る。そんな温和な不先も花の喧嘩には興味があったようだ。

  上州の花の喧嘩を遠巻に 市村不先

 上州とは上野(こうずけ)国の異称、現在の群馬県の地名である。不先が過ごした群馬県高崎市辺りに、あたかも喧嘩しているような桜を遠巻に見ている。「花の喧嘩」が劇場型な表現、歌舞伎のような美しい情景が目に浮かぶ。

 明日、4月1日から新年度が始まり、新天地へ異動する人も多いだろう。筆者はこれまでに、ほぼ3年に1回、異動と引っ越しを繰り返したが、今年は落ち着いて帰る雁を見ながら新年度を迎えられそうである。では、良い週末を。

塚本武州


【執筆者プロフィール】
塚本武州(つかもと・ぶしゅう)
1969 年、立川市生まれ。書道家の父親が俳号「武州」を命名。茶道家の母親の影響で俳句を始める。2000年〜2006年までイギリス、フランス、2011年〜2020年までドイツ、シンガポール、台湾に駐在。帰国後、本格的に俳句を習い、2021年4月号より俳誌『ホトトギス』へ出句。現在、社会人学生として、京都芸術大学通信教育部文芸コース及び博物館学芸員課程を履修中。神戸市在住。妻と白猫(ユキ)の3人暮らし。

【塚本武州のバックナンバー】

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>>〔11〕こぼれたる波止の鮊子掃き捨てる 桑田青虎
>>〔10〕とれたてのアスパラガスのやうな彼 山田弘子
>>〔9〕雛節句一夜過ぎ早や二夜過ぎ  星野立子
>>〔8〕百代の過客しんがりに猫の子も  加藤楸邨
>>〔7〕春光のステンドグラス天使舞ふ   森田峠
>>〔6〕謝肉祭の仮面の奥にひすいの眼  石原八束
>>〔5〕バー温し年豆妻が撒きをらむ    河野閑子
>>〔4〕初場所の力士顚倒し顚倒し     三橋敏雄
>>〔3〕わが知れる阿鼻叫喚や震災忌    京極杞陽
>>〔2〕福笹につけてもらひし何やかや   高濱年尾
>>〔1〕一月や去年の日記なほ机辺     高濱虚子

【初代金曜日・阪西敦子のバックナンバー】

>>〔118〕【最終回】なぐさめてくるゝあたゝかなりし冬    稲畑汀子
>>〔117〕クリスマスイヴの始る厨房よ                千原草之
>>〔116〕傾けば傾くまゝに進む橇                         岡田耿陽
>>〔115〕風邪ごもりかくし置きたる写真見る     安田蚊杖
>>〔114〕舟やれば鴨の羽音の縦横に                    川田十雨
>>〔113〕つはの葉につもりし雪の裂けてあり     加賀谷凡秋
>>〔112〕毛帽子をかなぐりすててのゝしれる     三木朱城
>>〔111〕牡蠣舟やレストーランの灯をかぶり      大岡龍男
>>〔110〕梁折れて頬を打つあり鶉追ふ                三溝沙美
>>〔109〕桔梗やさわや/\と草の雨                楠目橙黄子
>>〔108〕鳥屋の窓四方に展けし花すゝき         丹治蕪人
>>〔107〕秋めくやあゝした雲の出かゝれば          池内たけし
>>〔106〕コスモスのゆれかはしゐて相うたず      鈴鹿野風呂
>>〔105〕淋しさに鹿も起ちたる馬酔木かな      山本梅史
>>〔104〕蜩や久しぶりなる井の頭                     柏崎夢香
>>〔103〕おやすみ
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>>〔101〕おやすみ
>>〔100〕おやすみ
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>>〔26〕日の遊び風の遊べる花の中     後藤比奈夫
>>〔25〕見るうちに開き加はり初桜     深見けん二
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>>〔23〕雛納めせし日人形持ち歩く      千原草之
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>>〔18〕藷たべてゐる子に何が好きかと問ふ  京極杞陽
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>>〔16〕ラグビーのジヤケツの色の敵味方   福井圭児
>>〔15〕酒醸す色とは白や米その他     中井余花朗
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>>〔12〕蔓の先出てゐてまろし雪むぐら    野村泊月
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>>〔10〕ストーブに判をもらひに来て待てる 粟津松彩子
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