冬の虹忘れてそして忘れ去る
藤井あかり
眼前の虹がやがて儚く消えてしまうこと、そして大切な記憶もいずれは思い出せなくなってしまうこと。時雨のあとの空に虹を見つけた作中主体の心にそんな思いが去来した、と読んだ。切ない感慨のなかにどこか覚悟も感じられる一句である。9月に刊行された第二句集『メゾティント』に収録されている。
この句の〈忘れてそして忘れ去る〉という表現が、句集を読んでからずっと忘れられない。忘却に段階がある、というのだ。
1段階目の忘却では、また思い出せるのだろう。2段階目の忘却でついに思い出せなくなり、忘れたことすら忘れてしまう。そんなふうに記憶の奥底に行ってしまったものに思いを馳せる心のありようが、冬の虹の淡さや時雨の空気感と響き合っている。
忘れたくはないけれど、忘れずに居続けることはできない。限界を受け入れているのだ。
作者の第一句集『封緘』には〈聞きながら邯鄲の音を忘れゆく〉という句がある。邯鄲(かんたん)とは鳴き声の美しいコオロギ科の昆虫。聴いている最中にもかかわらずその音色を覚えていられないことに意識を向けているところが冬の虹の句と通じている。音を脳内で再生しようとするとたちまち消え失せてしまう感じがするのは、虫の声に限らずとても実感がある。
『メゾティント』の収録句では〈花冷のそのうち失くす傘と思ふ〉もまた、失うことをあらかじめ覚悟している句だ。失くす対象が傘なのでユーモアも感じられるが、季語「花冷」の質感もあいまって醒めた諦念を受け取った。日常がとても儚いもののように描かれている。
〈子にいつか来る晩年や竜の玉〉では、我が子の生涯の終わりを想像し、それから遡るようにして現在の姿を見ている。晩年という言葉が似合うほど年老いた頃には、親である自分はもうこの世にいないから会うことができない。究極の想像だ。
作者の句には「いま・ここ」を描くだけではなく未来や他者へ思いを寄せた句が多くあるが、それらの句にも「未来も他者も想像することしかできない」という限界が織り込まれているように感じる。それが作者の表現世界なのだと思う。
(友定洸太)
【執筆者プロフィール】
友定洸太(ともさだ・こうた)
1990年生まれ。2011年、長嶋有主催の「なんでしょう句会」で作句開始。2022年、全国俳誌協会第4回新人賞鴇田智哉奨励賞受賞。「傍点」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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