【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2022年9月分】
ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集を行っています。まだ誰にも知られていない名句を発掘してみませんか? 今回は(告知が遅れたにもかかわらず)6名の方にご投稿いただきました!(掲載は到着順です)
不死男忌や缶切要らぬ缶ばかり
森尻禮子
「閏」2022年8・9月号より
秋元不死男の「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」の本歌取り。戦中特高に弾圧された不死男の戦後早々の句。自由の身となった不死男が食糧難の中缶詰を開ける喜びを飛来する渡り鳥と取り合わせた句。「終戦日妻子入れむと風呂洗ふ」という句もある家族思いの不死男だから、缶詰を開けながら家族が喜ぶ顔を思い浮かべたであろう。
さて掲句。現在缶詰はプルトップ式となり缶切で開ける必要はない。缶詰を開ける喜びを喪った飽食の時代の我々は、同時に何か別のもっと大切なものを喪ったのでは。それは自由を守ろうとする強い意志か。現代に警鐘を鳴らす一句。
(種谷良二/「櫟」)
ソーダ水ひと口残し羽田発つ
古曵伯雲
「鳰の子」2022年8月・9月号より
ひと口分残されたソーダ水は、作中主体の東京(もしくは日本)への心残りを表している、とかではなく、単純にそういう癖なのだと思う。ジュースやコーヒーをすこし残す人がたまにいる。羽田空港から飛行機でどこかへ飛び立つという非日常の場面において、いつもの癖が出る。すこし残ったソーダ水のきらきらとした映像は、読み手を華やかな気持ちにさせる。成田と比べたときの羽田という言葉の軽みも味わいたい。
(千野千佳/「蒼海」)
祝福の楽隊みたい風鈴屋
中代曜子
「閏」2022年8・9月号より
祝福の楽隊、良いですね。
私がイメージした風鈴屋は、風鈴をたくさんぶらさげて下町を移動している自転車。もしかしたら、時代劇の中にしかないのかもしれない光景。『楽隊』から、ちんどん屋さんの影が現れた。平和な町の人達の笑顔が見えた。「みたい」という口語から、人物像が浮かびそう。
先日、藤棚のようなものに、風鈴をたくさんさげられたディスプレーの写真を見た。どこかのイベントだったが、とてもきれいだと思った。音が聞こえたら、祝福の楽隊みたいだっただろうと思う。世界中にいろいろな風鈴があるが、日本で一般的なガラス製の風鈴の音は独特で、穏やかで心地よいしらべ。日本が誇れるものの一つではないかと思う。
(フォーサー涼夏/「田」)
打水の了ひは手桶ごと撒きぬ
恒川敬代
「濃美」2022年9月号より
あまりにも日常的で、それゆえに俳句はこんな事でも一句として出来るのだなと、改めて俳句という文学の面白さを感じた。
夏の暑さを少しでも和らげる為、朝な夕なに庭や玄関先に水を撒くのだろうが、最後の方は手酌でうまく掬えない水が残る。それをえいやっ、と手桶を逆さにしながら振って水を撒いた光景だろう。
この何気の無いスナップショットに、なぜこんなにも惹かれるのだろうか。それはやはり、日本人として昔からのこの日常的風景に触れてきたために、懐かしさが蘇ってくるからなのだろう。
(北杜駿/「森の座」)
引越を蠅虎と相談す
竹中佑斗
「秋草」2022年9月号より
蠅虎が好きだ。共に暮らす猫、目高と違って世話をすることはないが、蠅虎のことは家族のように感じている。飼っているわけではないが、一緒に居る。この奇妙な共同生活はなんだかこそばゆく、それでいて心地よい。昨年の引越の際、さすがに蠅虎はついて来ないだろうと思っていたので、新居で蠅虎を見つけたときには飛び上がるほど嬉しかった。何も告げずに引越を決行した私とは違い、きちんと事前に蠅虎に相談する、思いやりに溢れた句に心打たれた。蠅虎と人との関係がさり気なくも的確に描かれている、やさしさに満ちた句である。
(笠原小百合/「田」)
蘆花夢二泊りし宿の籐寝椅子
木暮陶句郎
「ひろそ火」2022年8月号より
「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。」。徳冨蘆花の『不如帰』に書かれた、「千明の三階」は千明仁泉亭の部屋のこと。昭和2年に伊香保で最期を迎えるまでに何回も伊香保を訪れ、定宿にしていたという。美人画で有名な夢二は、伊香保・榛名の景色をこよなく愛し、晩年には榛名山美術研究所を建設しようとしたほど。文久年間に創業された「塚越屋七兵衛」は、伊香保温泉を愛した夢二ゆかりの宿だという。このような歴史ある宿には、使い込むほどに味わいのある色、艶を醸し出す籐寝椅子が似合うことでしょう。
(野島正則/「青垣」「平」)
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