【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年10月分】


【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2022年10月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集を行っています。まだ誰にも知られていない名句を発掘してみませんか? 今回は(告知が遅れたにもかかわらず)7名の方にご投稿いただきました!(掲載は到着順です)


音剝がしつつ板の間を素足ゆく

新治功

「南風」2022年10月号より

「しつつ」「ゆく」にある程度の距離を感じました。二間続きの和室をめぐる広縁でしょうか。「音を剥がす」「素足」には床に吸い付き剥がれる足裏の感触を得ました。固く絞った雑巾で拭き上げられた板の間をわずかに湿りを帯びた足裏が踏み締め、離れる、その清潔感。音のリズムからきびきびとした足取りも伝わります。この句で「私」はどこにいるのかな?と思ったら、広縁のうちの畳に大の字で寝て、その足音に耳を傾けていました。心地よい夏のひとときです。

土屋幸代/「蒼海」)


挙式中なり囀りのしきりなる

飯田みよ子

「青山」2022年9月号より

ガーデン、と呼ぶのがふさわしいお庭での結婚式。映画のシーンそのもの。お花に囲まれて、白いリボンで飾られた参列者用の椅子が並べられています。というような、完璧なものではありませんでしたが、私たちも野外で、ご近所の牧師さんを連れてきて結婚式をしました。義姉の家の庭、ペンシルベニア州の田舎でのこと、30年近く前のことですが、思い出しました。

~なり、~なる、って、俳句では珍しい使い方ですが、状況を現すのに成功しているのではないでしょうか。勉強させていただきました。

フォーサー涼夏/「田」)


端居する雨の繊維に囲まれて

中塚健太

「銀化」2022年10月号より

何と言っても「雨の繊維」という表現の無機質さが好きだ。大胆であると思う。この雨はたぶん霧雨または小糠雨と呼ばれる雨だ。「雨の繊維に囲まれて」いるので、縁側からはみ出た脚だけでなく、屋根のある部分にもだいぶ雨が入り込んでいるのだろう。それを作者は心地よく感じているように思う。端居というと雨は降っていないものと思っていたが、なるほど雨に濡れてしまえば手っ取り早く涼むことができる。その合理的な考え方に若々しさを感じた。

千野千佳/「蒼海」)


どの町にも工作員のごと朝顔

竹内宗一郎

「街」NO.157より

「工作員」とはいわゆる「スパイ」。機関の指示で諜報活動を行い秘密情報を盗む。「映画じゃあるまいし…」と思いきや、我が国でも防衛情報や最先端技術情報を盗んだとして産業スパイが検挙されたり外交官(実は諜報機関員)が国外追放されたりする記事が時々マスコミを賑わわせる。

さて掲句。朝顔を工作員に喩えた。確かにパラボラ型の花は広く世間の情報を収集しているようにも。さり気なく軒先に咲いて家の内外の会話を聞き取り蔓のアンテナで機関に送信している?「あなたの隣にも…」という「こわい俳句」だ。

種谷良二/「櫟」)



朝霧や山祇に吹く法螺の音

朝田悦子

「秋麗」2022年10月号より

ひょっとしたら、「秋の峰入」での風景かもしれない。

山を信仰の対象とし、その中に入って修行を行うことで悟りを得るため、山伏達はそれぞれの思いを胸に山に入る。

法螺貝は修験者の大切な法器の一つ。その妙音を出すには、難行苦行を重ね、修行を積まないといけないとされ、その音が釈迦の説法にたとえられ、 迷妄を払い、 悟りを呼び覚ますとされている。

今はまだ心に霧がかかっているような山伏達も、修行を通してその心は澄み切ったものになっていくことだろう。

その祈りと覚悟の表れとしての、法螺の音であるのかもしれない。

北杜駿/「森の座」)


槍投げに雄叫び加へ雲の峰

高木宇大

「雪華」2022年10月号より

槍投げの句では、「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎」。この句が頭によぎる。登四郞の句は、静と動。しかしこの動きはゆっくりと静かな動きを感じる。これに対し、宇大句は、大きな動き、力のこもった声が、映像と音響を加えて響く。天地人の要素として、雲の峰の天、槍投げの地、雄叫びの人という三大要素が句に大きな力を与えているように感じる。大きな力を与えられた槍は大きな弧を描き飛んでいく景がよく見えるのだ。

野島正則/「青垣」「平」)


半分は水の色なる目高かな

村上瑠璃甫

「秋草」2022年10月号より

近年、目高がブームとなっているらしい。自宅で気軽に楽しめるということで、コロナ禍が後押しする形となっているようだ。品種改良も盛んで、目高の簡易販売所や無人販売所が増えてきている。かく言うわが家でも「幹之(みゆき)」「楊貴妃」の二種類の目高を飼っている。掲句を受けて改めて観察してみると、確かに目高の半身ほどが透けて見えることに気づく。その様子を「水の色」としたことで水と一体となって泳ぐ涼しげな目高の姿が浮かぶ。「は」「なる」と言い切る潔さも心地よい。目高を愛おしむ眼差しがあってこその発見である。

笠原小百合/「田」)



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