五月雨や掃けば飛びたつ畳の蛾
村上鞆彦
「五月雨や」という上五は、どうしたって「大河を前に家二軒」という蕪村の名句を惹起する。
その文学的記憶に、作者は生活のなかの小さな命のありようを配した。夏の季語でありながらもどこかマイナーな「蛾」によって、上五の古風な切り出し方に拮抗するイメージの力を喚起する。
この句を読んで「古臭い句だ」「江戸じゃあるまいし」とまあ、そんな声も聞こえてきそうである。
だが、ちょっと待て。「古いもの」の上位に「新しいもの」を置こうとするのは、資本主義社会に毒された人間の、悪い癖だ。
おそらくそういう人のいう「新しいもの」は来年を待たずして「古臭く」なっている。
時代を超えて普遍的な景を詠んでいることも魅力だ、といえばすむ話ではないか。
この「アナクロニズム」は、俳句という文芸では、重要な要素でさえあるのではないだろうか。
『遅日の岸』(2015)所収。
(堀切克洋)
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