いつの日も 僕のそばには お茶がある
大谷翔平
今年の夏、最も多くの人の目に触れた俳句は、おそらく上掲の一句であろう。いや、ここ数年に範囲を広げてもよい。伊藤園「お~いお茶」のプロモーションに利用された掲句は、パッケージはもとより新聞広告や街頭広告など、いたるところで見ることができた。そのあまりの過剰さに、半畳を打ちたくもなったがしかし、掲句の外連味の無い絶妙に力の抜けた詠みぶりは、ぎりぎりのところでそれらの批判を躱しているようにも思えた。卓抜のバランスを有しているといえよう。
しかしこれは、ほんとうに大谷翔平自らが詠み得た句なのであろうか。伊藤園は「大谷選手と当社が協力して作り上げた俳句です」との実に周到な回答を用意している。さらには、担当コピーライターの名前も見えてきたりもするのである。あえてそこまでは立ち入らないが、つまり、表向きは大谷翔平作という構えをとりながらも、実際はコピーライターの代作とみるのがしぜんであろうことが諒解できる(とはいえ、そのようなやんごとなき世界の道理などは僕には知る由もないことではあるが)。
ここでふと、曖昧模糊とした作者の存在に、万葉の代作歌人の姿を引き合わせてみたい衝動に駆られる。斉明天皇に成り変わり額田王が代作したとされる〈熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな〉は、航海の平安を祈るとともに、士気を鼓舞した。代作歌人は、国家の大事に際し、巫女的に神々や天皇の告ごとを発出する役割を担っていたわけである。
むろん、このような存在は、神々や天皇を前提とした国家的儀礼的な基盤の上によってのみ成り立ち得るもののはずである。とするなら、代作歌人の歴史的な変容に関する点検を俟たずして、このような基盤がことごとく失われた現代においては、極めて成立が困難な存在であるといえるだろう。
そんな現代において唯一、国家的儀礼的な基盤を担うことのできる存在が大谷翔平である、というのは大げさにすぎるであろうか。単に国民的スターであるというような知名度の問題だけではなくて、彼の超人的な能力や一種の神聖さが、儀礼的世界観を引き込んでいるようにも思えなくもない。いうまでもなく、現代におけるこの基盤は資本の原理の上に提出されているわけではあるが、そこに国家的儀礼的な性質が見え隠れしていることも、また事実に思う。このあたりが、万葉の代作歌を掲句に思い合わせてみたい所以である。
前々から思っていたことではあるが、大谷翔平は神なのかもしれない。
(木内縉太)
【執筆者プロフィール】
木内縉太(きのうち・しんた)
1994年徳島生。第8回澤特別作品賞準賞受賞、第22回澤新人賞受賞、第6回俳人協会新鋭俳句賞準賞。澤俳句会同人、リブラ同人、俳人協会会員。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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