逢へば短日人しれず得ししづけさも
野澤節子
冬の日暮れの早さは、人との別れの時間を早くもさせる。
「もう、結構な時間になりましたか」
「あら、ほんとう、外がすっかり暗く…。まだ時間は早いのに。」
「ほんとうだ、冬の日暮れは早いね。まあ、そろそろ、帰りましょうか」
「逢へば短日」には、日の短さによる逢瀬の短さを物足りなく思う切な心がある。
本当はもっと一緒にいて話をしていたいのだ。逢瀬の短さを惜しみつつ、その一方で感じている「しづけさ」。
この静けさは、逢えたことに感じる心のやすらぎ。人知れずと言っているけれど、その人は他の誰でもなくその相手のことを指しているのだろう。要するに一方的な恋心。尊敬する師との逢瀬というようなことを想像させもする。
もっと同じ時間を過したいという思いと、逢えただけで心が満たされるという思い。
二つの思いが葛藤しているようで切なくも胸に響く。
『未明音』(1956)所収
(日下野由季)
🍀 🍀 🍀 季語「短日」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。
【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』、『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。