姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八【季語=螢(夏)】

姥捨つるたびにの指得るも

田中目八
はしづめきょらい

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初めて美術館に行ったのは9歳だった。「分からなくてもいいから人が良いと言うものを見なさい」と。その教えを守る訳ではないが、美術館にはよく行く。風景画の森には緑、湖には青や白の絵の具が使われていて分かりやすく安心する。小学生の頃から綺麗な色の絵が好きだった。もっと違うものの良さも知りたいが、抽象画はどこをどう見ていいか分からない。入館料を払ったからには何かを得て帰りたいが、絵の解説を読んでもしっくりこない。

みんなが良いと言うものを良いと思いたいのに。明快な風景画を好むことが俳句にもあるのではないか。

姥捨つるたびに螢の指得るも

田中目八 2025年俳句短歌誌We19号「真珠墓」20句より

姥を何度も捨てている。心の中ではとっくに捨てている。その度に指に救いの光を得る。道徳的に良くないとされることをして報われることもある。

蓮をゆく宦官小さきひづめして

2023年10関西現代俳句協会青年部ホームページ青年部招待作品「神柰月」10句より

宦官とは中国などの王朝の宮廷で皇帝や後宮に仕える去勢された男性で、蓮は仏教では涅槃の境地を象徴するものでアジアを連想させる。去勢されたとはいえ、人間である宦官にひづめがある。家畜のように服従し王朝のためにひづめを鳴らして行進するかのよう。いづれそのひづめは巨大な権力を得て皇帝をなぎ倒す。

このように意味を捉えようとすれば何とでも言えるが、意味などなくても構わない。

あし舟に歯固め石や日かみなり

夏痩を岸辺送りの無言歌と

以上2024年俳句四季9月号「いをのてん」16句より

目八氏の句は難解な抽象画だろう。しかし意味をとれなくても不安ではないし、求める気もしない。作者の世界観やリズムなど独特のものがあり、方向が示されているので、分からないということをすんなり受け入れられる。それでいて分かってしまう部分もある。不思議とそうなのだ。

私の句もよく「分からない」と言われるし、直したほうがいいのか不安になるけど、目八氏はそうでもなさそうだ。彼には明確に言葉と自分があり、それでいて自分を分かって欲しいとは思っていない。普段は慎ましく温厚な人だが、いざ句となるとバケツの染料をぶちまけるようなパッションがある。

風景画を愛する者どもよ見よと

有瀬こうこ


【執筆者プロフィール】
有瀬こうこ(ありせ・こうこ)
2016年12月作句開始。
いぶき俳句会所属。豆の木参加。
2023年第13回百年俳句賞最優秀賞。
2024年第30回豆の木賞。
2025年第8回俳句四季新人賞奨励賞。
2024年「えぬとこうこ」発売。
2025年末「えぬとこうこ2」発売予定。



【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花


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