銀漢陽之介 またの名を、伊藤伊那男
檜山哲彦(「りいの」主宰)
伊藤伊那男さんはお洒落である。言葉がお洒落である。遣う言葉、声の調子、語り口、耳への響き方、話の運び、それらすべてにかかわる心配りがお洒落である。
本物を聴いていただくに如くはない。手前味噌で恐縮だけれど、こちらの出版記念会にさいして、口開けをお願いしたときの話である。
「伊藤伊那男でございます。まさか最初にここに登るとは思わなかったんで慌てておりますが。先ほど市ヶ谷の土手をね、ちょっと見ましたけれど、この日に合せたようにですね、桜が満開になっておりました。さすがラッキーな人だなと、いうふうに(笑)思っております。
今日はね「りいの」の方々にお目にかかるのを、すごく楽しみにしてやってまいりました。といいますのは、わたくしの先生の皆川盤水なんですけども、「風」の同人でですね、沢木欣一先生の教えを受けたわけですね。その盤水先生からわたしは俳句を教わった、ということでございまして、「りいの」の方たちとは同門、ということになるんだと思っております。
わたしが入りましたのは昭和57年くらいなんですけどね。「春耕」も隔月誌から月刊誌に移る時期でしてね。それまでは「春耕」に入ると「風」にも入るというような感じだったんですけれども、そろそろ自分で弟子を育てようというような時期だったようでしてね、わたくしには「風」に入れという話はなかったです。
もうちょっと前にもし俳句やってたらですね、おそらく「風」に入り、それから「りいの」に入り(笑)、もしかすると今日ね、ここに立ってるんじゃなくて、受付かなんかやってたかもしれないと(笑)思っておりますけれども、「風」にはいなかった。
ただね、沢木先生それから細見綾子先生はですね、「春耕」の行事があるたびにね、来ていただきました。何より勉強になったなと思うのはね、初学のころ『風俳句歳時記』ですね、これで勉強したというようなことでしてね。檜山さんとおそらく同じ歳時記で、俳句の道に入ったと、いうことでございます。
りいの誌を毎月見さしていただいておりますけれど、「俳句ディアローグ」、あれは力が入っててね、私も主宰やってますけどね、いつもあれは読んで勉強さしていただいております。そうとうお弟子さん達に対する深い思いがないと書けない文章というふうに思っております。
それから、今日司会やっておられます卓田さん、それから山崎祐子さんは今日いらっしゃるのかな?―「欠席」―あ、残念ですね。お二人とはね、一緒に句会をやったりもさしていただいておりますけれども、この二人が「りいの」を支えてるというのもね、檜山さんはラッキーだなというふうに思っております。
最近ね、檜山さん見るとね、沢木欣一先生のね、感じ。なんかふうぼうとかね(笑)物腰にね(笑)、なんか沢木先生を彷彿とさせるようなものがね、感じられるんですよね。やっぱり師弟というものはそんなものかなと、いうふうに思いましてね。ただ、沢木先生と一つ大きな違いが。それはね奥さまが若いと(笑)いう点だろうなと、思っております。
わたくしの「銀漢」はですね、「りいの」から一年遅れましてね、スタートしておりまして、ちょうど三年目なんですけれども、これからも同門のよしみというかですね、良きライバルとしてね、励ましあっていきたいというふうに思っております。よろしくお願いいたします」(2003年3月23日、於アルカディア市ヶ谷)
眼の前に「伊藤伊那男」という人が彷彿としてくる。一個の人間が、摑めんばかりのすぐそこに立ち、その心のなかの動きがじかに伝わってくる。忠実に録音を起したゆえ、というばかりでこうなるはずはない。当事者にしてみれば、会場の空気が肌に蘇って来て、いま初めて聞くような心持がするくらいだ。
銀漢亭の十七年。ここに集う者たちが愉しんできたものといえば、なにはさておき、伊藤伊那男という人間の言葉であり、語りであった、と思わずにいられない。冒頭で言った言葉のお洒落にほかならない。ここに、明るく、朗らかで、ときに大きくはじけるあの笑顔が加わる。それらまるごと思い浮べるなら、星粒あふれる銀漢に船をあやつりつつ天をゆき、昼の光をもたらすアポロンに、伊那男さんをなぞらえても、けっして陳腐ではあるまい。太陽とはすなわち、流星、彗星を含め、星という星が集おうとする中心点にほかならないのだから。
【執筆者プロフィール】
檜山哲彦(ひやま・てつひこ)
1952年広島生まれ。俳誌「風」「万象」を経て、2009年「りいの」創刊主宰。句集に『壺天』(第25回俳人協会新人賞受賞)、『天響』。2019年3月まで東京芸術大学で教鞭をとり、現在は名誉教授。専門はドイツ文学(叙情詩)、ドイツ・ユダヤ文化。共訳著書に『ドイツ名詩選』(岩波書店)『ああ、あこがれのローレライ』(K.K.ベストセラーズ)、『ウィーン―多民族文化のフーガ』(大修館書店)、『ニーベルングの指環 その演出と解釈』(立風書房)など。