檸檬温室夜も輝いて地中海
青木ともじ
上質な俳句は、作者の意図を越えて読者に多様な景色を提供してくれる。
という言い訳をして、めいっぱい俳句に想像(妄想)を託すのも、句集を読む楽しみのひとつだと思う。
とはいえ過剰な妄想は控えることにしたい。一方的で押しつけがましい読みは、時に暴力的でもある。
また、私のくだらない想像世界を開陳せずとも、掲句の収められている青木ともじ句集『みなみのうを座』の魅力はじゅうぶん伝わると思うので。
序文などでも触れられているように、句集『みなみのうを座』では海や天文をモチーフにした句が目を引く。あとがきなどによれば、それらは作者の関心や専門領域によるものだそうで、当然句集を読み解くにあたっては前景として立ち現れてくる。
一方で、それらとは異なる、生活や他者との関係性が描き込まれた句が、この句集には散りばめられている。
佳き人を演じて細き葱を買ふ /青木ともじ(以下同)
二人して人参買うてきてしまふ
同じページに並んだこの二句からは、生活のひとこま、作中人物の関係性が透けて見えるようだ。相手のために葱を買い、互いに人参を買ってきてしまう間柄。(つい様々な物語を妄想してしまいそうになるが、ちょっと抑えておこう。)しかしただ微笑ましい関係性というだけでないだろう。作中主体は、相手に対し「佳い人」を演出する必要性を意識していて、そこから自らに対する自信のなさ、あるいは関係性の不確かさが仄見える。
さらに続く句である。
棘のある花だと知つてゐてあげる
自らを傷つけ得る相手の性情をも受け入れようとしていて、欠点ともいえる一面をいったん棚上げにしてでも受け入れたい他者の存在がそこにある。(ここで再び逞しくなる妄想を押さえつける。)
ところが、特別な他者の気配は、一度ここで立ち消えてしまう。(ふぅ。)
集中には、作中主体の繊細な内面、あるいは作者の鋭敏な感覚が生活場面に反映されて読み手の共感を巧みに誘う句が溢れているのだけれど、そうした中に他者の存在は、ごく慎重に埋め込まれている。あまり句を引きすぎるのも良くないので、そのあたりは実際に句集でご確認いただけると幸いである。
加えて、鬱屈した意識が句集に豊かな陰翳を与えている。
日記買ふそれを汚してゆくペンも
菊の日や書を撫でゐれば傷のやう
とほくまで行けない靴で来る泉
いまここを噛みしめつつも、そこにいるはずの自分がまるでその場にそぐわない存在に思えてしまうような疎外感、内なる翳をなぞりながら世界と自分との距離を浮かび上がらせる眼差し。観察にすぐれている、というだけではない。自らを相対化し、メタな視点を取り込んだ厚みのある句のところどころには、何らかの要請に駆られたかのような切実さすら感じる。
あくまで鋭く細やかな感覚は、ときに外界への警戒、おそれとなってあらわれる。
そとはあぶない海苔を焼くおもてうら
そうして、作品世界は「ひとり」の内面へと沈潜していく。しかしそれは諦念とか老成とか、物分かりの良い大人の着地点ではなさそうだ。叶わないこと、喪ったもの、戻らないものを俳句のかたちで拾いあつめながら、確かな匂いや輝きを見逃さずに、諦めずにいる。
それゆえに、掲句はこの句集の中で、水中深く沈む錨のように、静かな存在感を放ち続けているのだ。
檸檬温室夜も輝いて地中海
生活の温度を手放さない檸檬温室。闇の中で光を喪わない海。
どんな生にも寄り添ってくれるしなやかな句、といったら大袈裟にすぎるだろうか。
(楠本奇蹄)
【執筆者プロフィール】
楠本 奇蹄(くすもと きてい)
豆の木など参加。第11回百年俳句賞最優秀賞、第41回兜太現代俳句新人賞。句集『おしやべり』(マルコボ.コム,2022)、『グッドタイム』(現代俳句協会,2025)。
Twitter:@Kitei_Kusumoto
bluesky:@kitei-kusu.bsky.social
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https://100hyakunen.thebase.in/items/109144894
【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二