天国が見たくて変える椅子の向き 加藤久子

天国が見たくて変える椅子の向き

加藤久子

俳句にしても川柳にしても、私は人間臭さを感じられる句が好きだ。掲句においては「天国を座って鑑賞したいタイプの人なんや」と思った。「椅子の向き」がスイッチとなって「天国」が「見」えるという読みも考えられるが、常設されている「天国」を見ようと思って「椅子の向き」を「変える」人の方に惹かれる。

俳句を「現実をそのまま写し取る文芸」とするならば、川柳は「現実を暴力的に書き換える文芸」だと思う。もちろんこれらに該当しない俳句;川柳も存在するが、私が感じる俳句らしさ;川柳らしさの正体、また読者として期待していることを言語化すると上のようになる。

例えば

空豆の皮ていねいに皮の上  阪西敦子

花冷の傘を掛けおく手首かな 若林哲哉

などは、つくづく俳句を読んでいてよかったと思った句だ。たちどころに景が浮かび上がることの快感がある。

一方で

妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬

かつがれて春の小川になってゆく  なかはられいこ

などは現実的には起こりえない。起こりえないのだが、作者にはそう見えた;あるいはそうに違いないといった勘違いを、短さの中で肯定する力がある。

また、暮田真名は著書『死んでいるのに、おしゃべりしている!』の中で、俳句と川柳についてこう書いている。

常人離れした視力によっておばけ「が」見えてしまうのが俳句なら、主体の異常なテンションによっておばけ「に」見えてしまうのが川柳だ。

実際には「天国」は見えない。異常なテンションによって「天国」に見えているのかもしれないし、主体が見た青空を「天国」と書き換えたのかもしれない。はたまた主体から見てそれが「椅子」に見えているだけで、実際は全然違うかもしれない。初めて川柳を知った高校生の私は「そんなわけなくない!?」と不思議に思うことしかできなかった。今は川柳というものを通じて誰かの認知に触れている瞬間が楽しい。その認知は作者のものだったり作中主体のものだったり、そもそも暮田さんは同著の中で「現代川柳は言葉のパリコレ」「『円滑なコミュニケーション』という目的から解き放たれた『言葉のためにある言葉』」とも書いているから、誰かの認知であるというテーゼもまた誤謬であることもある。ただ、それらも含めて勘違いや誤謬を楽しめるようになった。だから今川柳が楽しい。

納得できなくても、共感できなくても、川柳にはそういったことを書いていてほしい。いつか「ああ、これが椅子に座って見る天国か」と追体験できると、根拠もなく信じている。

(日比谷虚俊)


【執筆者プロフィール】
日比谷虚俊(ひびや・きょしゅん)
いぶき」所属、「楽園」同人、「銀竹」代表、現代俳句協会青年部所属。



【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名
〔9月17日〕落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男
〔9月18日〕枝豆歯のない口で人の好いやつ 渥美清
〔9月19日〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美
〔9月20日〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
〔9月21日〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
〔9月22日〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼

【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)

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