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大年の夜に入る多摩の流れかな 飯田龍太【季語=大年(冬)】


大年の夜に入る多摩の流れかな 

飯田龍太
(「涼夜」五月書房 1977年)

大晦日である。現代史に残る事変の続いたこの一年の来し方を思う日にこの句を読むと、「方丈記」の冒頭文のごとく、川の流れから絶えざる時の流れを思うとともに、無常ということも思い起こさせる。各地で自然災害が頻発する昨今においては、「方丈記」に記された平安末の都を襲った数々の自然災害とそれに付随する人心の荒廃はもはや他人事ではない。そして、令和の世に個人が免疫を持たないウイルスに対抗する手段が、人と会わないこと以外にはマスクと手洗い消毒をする程度のことしかないという事実に愕然とするほかなかったのは私だけではないだろう。そんな一年もいよいよ終わるこの日に、生活の側にある川の流れを眺めて人々が思うこととはどのようであろう。この句を読むと、どうしてもそんなことを考えてしまうのだけれど、もちろんそれは龍太の句作動機とはなんの関係もないことである。

なぜ龍太が多摩川を詠んだのか。山梨から東京に向かう車窓の中で句作する際に眺めることがあった為か、などと想像はしたが、この句からはよく分からなかった。ヒントになったのは、初期の句作「萌えつきし多摩ほとりなる暮春かな」(「定本百戸の谿」牧羊社 1976年)。「自選自解飯田龍太句集」(白鳳社 1968年)には、この句が最初に載っていて、自解には、たまたま帰省中に甲府の例会に出たところ、蛇笏の選に入って驚いたことなどが書かれている。そして、「甲州から中央線で東京に入る手前、あの広々とした多摩川のほとりにかかると、何となくいい気分になったものである。せま苦しい山峡からやっとぬけ出たという解放感をおぼえるのだろう。席が空いていると、いつも左側に掛けて、川上をずっと遠くまで眺めた。この気持ちは、二十数年後のいまも同じである。」とある。となればやはり掲句も、そのような気分の中で詠まれたものと思うべきだろう。東京で用事をすませ、夜に甲府へ戻る車窓から多摩川を眺めたものだったのかもしれない。そして大事なポイントとして、どうやら龍太は多摩川に自己の精神の解放を感じていたのである。確かに、通勤電車の車窓から大きな川を眺めるとき、ささやかな解放感を得ることは私にもある。まして龍太は、とその先をいろいろ思ってみたりもする。

ところで、「萌えつきし~」句は、「百戸の谿」初版(書林新甲鳥 1954年)には入っていない。先述の自選自解には、わざわざ「なお、この作品は、どの句集にも入っていない。」と最後に書かれているのだけれども、1976年刊の「定本百戸の谿」の冒頭には収められている。収録句数を数えると、六句ほど増補されているようで、その中の一句である。もしかして、気に入っていた句だが、父親に褒められた句を第一句集冒頭に入れるのがどうにも照れくさかったものか。あるいはそのような出来事も、若い龍太には閉塞感をもたらす一成分であったのかもしれない。

さて、来年の大晦日には、龍太のように解放感を得ながら川を見る気分でこの句を読み直せることを念じて止まない。皆様、よいお年をお迎えください。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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