小谷由果の「歌舞伎由縁俳句」【第18回】二代目中村鴈治郎の俳句

【第18回】
二代目中村鴈治郎の俳句

(昭和47年4月発行『鴈治郎の歳月』中村鴈治郎著)

 今月6月9日に、俳優の中村玉緒さんが亡くなられた。
 そのニュースの中で、玉緒さんの父が二代目中村鴈治郎、兄が四代目坂田藤十郎とあらためて報じられたことで、玉緒さんが“歌舞伎の家”の出身であることを今回初めて知った方も多いのではないだろうか。それほど玉緒さんはお茶の間に、明石家さんまさんのバラエティ番組でよく見るタレントとしての印象が浸透していたのではないだろうか。
 しかし玉緒さんがバラエティ番組によく出演するようになったのは1990年代以降で、本業は俳優である。

 1939年(昭和14年)、上方歌舞伎の成駒家の家に、二代目中村鴈治郎の娘として生まれた玉緒さんは、小さな頃から俳優を志していた。父の鴈治郎は当初娘を役者にしようとは考えていなかったようで、著書『鴈治郎の歳月』の「扇雀と玉緒」という章で下記のように綴っている。

 妹の中村玉緒は八歳も兄とは差がありますが、扇雀より意地が強いところもあります。扇雀は、男の子よってに、将来ともに役者にしようと考えていましたが、玉緒はさせるつもりはありませんでした。ところが本人はどうしても女優になると、決心がかたいのです。京都女学校に行っている間も女優にしてくれとせがみ、承知せなんだら、食事もせんと部屋に閉じこもったきりでストライキを一人で続けていました。
 松竹映画の『景子と雪絵』に出たのがはじめてでしたが、扇雀の『お嬢吉三』のおりに小さいころのお嬢吉三に扮したのが病みつきになってしまっていたようでした。昭和二十九年に卒業することになって、どうしても女優にしてくれなければ卒業式にも出ないといい、卒業証書はとうとう母親が代理で貰いに行くという破目になったものでした。
扇雀は、小さいころから役者にしようと、私も神経を使っていましたが、玉緒は天真爛漫に育って、いえばほったらかしにしていたのですが、その娘が女優になるというて頑固に主張を押し通してくるので、多少ならずともあわてたものでしたが、とうとう根負けして初志を貫いてしまいました。
 女優になって、うまいこといくやろうか、という心配をよそに、どうやら女優になってしまいました。(略)
 最近では舞台にも出たいと言い出しています。映画やテレビに飽き足りずに、舞台に出たがるのは血筋なのでしょうか。山田五十鈴さんとはタイプはちごうても、山田さんを一つの目標にして、せいぜい頑張ってほしいものやと思います。

 玉緒さんは1953年(昭和28年)に松竹映画『景子と雪江』で映画初出演、1954年に大映へ入社。生涯に出演した映画は140作以上、舞台女優としても幾度も座長公演を行った。
 役者の家に生まれ、役者の父に愛されて育ち、役者に憧れて俳優になり、初志を貫徹した方だった。

歌舞伎俳優と映画俳優
 その玉緒さんを娘として温かく見守った父である二代目鴈治郎は、人間国宝であり、この連載の第10回で触れたように、近松門左衛門作『曾根崎心中』が江戸幕府により1723年(享保8年)に上演を禁止されて以降長く再演されないままであったのを、近松生誕300年の1953年(昭和28年)に復活上演。徳兵衛を二代目鴈治郎、お初を息子の二代目扇雀がつとめ新橋演舞場で上演され、「扇雀ブーム」が社会現象となるほどの大成功を収め、以後当たり役とした。
 一方で、この頃から上方歌舞伎の凋落が始まり、さらに松竹との軋轢もあり、1955年(昭和30年)6月には歌舞伎界引退を表明し松竹を離脱。鴈治郎は大映に入社、息子の扇雀は東宝に入社し映画俳優に転向した。鴈治郎は大映に所属しつつ東宝や松竹の映画も含め100本以上の映画に出演しながら、松竹の高橋歳雄や二代目猿之助(のちの初代猿翁)の計らいで同年12月には歌舞伎の舞台に立ち、「傾城反魂香」では二代目猿之助演じる又平の相手役おとくをつとめた。
 1965年(昭和40年)には大映を退社し松竹に復帰。以後東西の舞台で一層活躍し、また当時初代猿翁を失い孤軍奮闘していた三代目猿之助(のちの二代目猿翁)の一座に加わることも多くなった。

二代目鴈治郎の俳句
 二代目鴈治郎は、俳名を「春虎」と号し、いくつか俳句を残しており、前出の著書『鴈治郎の歳月』に掲載されている。

から傘にへばりついたる桜かな
なつかしや父の似顔の菊人形
頰冠りしても恥かし神無月
丁稚からまず出なおそう御代の春
再び生きて春の陽の目にまぶし
顔見世や七十年の眉をひく
初春や又あらためて芸みがく

「出なおそう」「再び生きて」「又あらためて」など、鴈治郎の歌舞伎人生が素直に滲む措辞が多い。
 「頰冠りしても恥かし神無月」の句は、二代目鴈治郎の父・初代鴈治郎の当たり役である『心中天網島』の治兵衛を「頰冠りのなかに日本一の顔」と岸本水府が詠んだ川柳に因む。
 「顔見世や七十年の眉をひく」の句の自解はこう綴られている。

明治というても末年に南座で初舞台を踏んで、六十余年間舞台に立ち続けてきて、その間に、事件らしいことも何度かありましたが、やはり役者以外の何者にもなれず、道を一筋に歩み続けてきたことになります。私は幸せなことに、よき妻に恵まれ、扇雀、玉緒というよい子供をもうけ、そして、可愛い孫たちをもち平穏な日々になりました。

 この「可愛い孫たち」は、現在の四代目鴈治郎と三代目扇雀。
 四代目鴈治郎は昨年、映画『国宝』の歌舞伎指導と出演で話題になったが、この映画『国宝』は、歌舞伎が題材でありながら松竹ではなく東宝の映画。四代目鴈治郎の父である四代目坂田藤十郎(=二代目扇雀)が一時東宝所属の映画俳優だった系譜を感じる。

 そして、その四代目鴈治郎の息子である中村壱太郎は、来月7月から8月まで新橋演舞場で上演されるスーパー歌舞伎『もののけ姫』にサン役で出演する。アシタカ役は、三代目猿之助の孫である市川團子。二代目鴈治郎と二代目猿之助から続く成駒家と澤瀉屋のご縁は深い。

 今月6月15日は、その中村壱太郎と市川團子が「徹子の部屋」に出演予定だったが、中村玉緒さんの訃報を受けて急遽玉緒さんの追悼に差し替わり、壱太郎と團子の出演は翌16日に変更になった。玉緒さんは壱太郎さんの大叔母にあたる。

 あらためて、中村玉緒さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【参考文献】
『鴈治郎の歳月』中村鴈治郎著、藤田洋編(昭和47年、文化出版局)

小谷由果


【執筆者プロフィール】
小谷由果(こたに・ゆか)
1981年埼玉県生まれ。2018年第九回北斗賞準賞、2022年第六回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞、同年第三回蒼海賞受賞。「蒼海」所属、俳人協会会員。歌舞伎句会を随時開催。

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