俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第69回】 東吉野村と三橋敏雄

三橋敏雄は、大正九(一九二〇)年、八王子市生まれ、実家は絹織物業だったが、家業が傾き書籍取次の東京堂(現・トーハン)に入社し、夜間は実践商業学校に学ぶ。職場の先輩の勧めで社内俳句会「野茨吟社」に参加。山口誓子句集『凍港』『黄旗』を借りたことを契機に新興俳句系の作品を読みふけり、本格的に作句を志し「馬酔木」「句と評論」に投句開始。渡辺白泉、高屋窓秋とも会い、「風」(白泉等編集)に参加し、昭和十三(一九三八)年十八歳の折、「風」に「戦争」五十七句を発表し、誓子の絶賛を得た。西東三鬼の知遇を得て、「京大俳句」準会員となり、卒業と共に東京堂を退社し、三鬼の経営する貿易会社に入社した。

「京大俳句」会員になるものの、弾圧で休刊になり、白泉等と古典俳句研究、実作に没頭した。同十八年には、召集され横須賀海兵団に入団後に、八王子の留守宅が焼失して敗戦なった。昭和二十一(一九四六)年に運輸省航海訓練所に採用され、練習船事務長として。同四十七年迄船上勤務につく。同二十八年、三鬼主宰誌「断崖」に同人参加。現代俳句協会会員となり、三鬼逝去後には、同人誌「面」創刊に参加、同四十一(一九六六)年、第一句集『まぼろしの鱶』を上梓し、第十四回現代俳句協会賞を受賞した。

丹生川上神社中社

両師『西東三鬼全句集』『渡辺白泉句集』の刊行に尽力しつつ、第二句集『眞神』を上梓。同五十七年には『三橋敏雄全句集』を刊行し、朝日文庫『現代俳句の世界』(全十六巻)の解説執筆を開始した。平成元(一九八九)年には第五句集『疊の上』で第二三回蛇笏賞を受賞。角川俳句賞選考委員、讀賣俳壇選者にも就任するも、平成十三(二〇〇一)年、逝去。享年八十一歳。句集は他に『長濤』『しでらでん』があり、私淑のち師事した俳人に池田澄子、遠山陽子、三橋孝子等がいる。

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