別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃【季語=花の雨(春)】

別々に拾ふタクシー花の雨

岡田史乃
(『浮いてこい』『岡田史乃の百句』

 作者は、昭和15年、神奈川県横浜市生まれ。母の笹尾操が大野林火に師事する俳人であった影響で、文学に強い関心を持つ。学生時代、慶応義塾大学の「三田詩人」の会合にて、詩人の岡田隆彦と出逢う。史乃に一目惚れした隆彦は、横浜の自宅まで何度も足を運び求婚したという。その熱意にほだされ結婚。隆彦が結婚後に出版した詩集のタイトルは、『史乃命』。大恋愛の結果として誕生したのが辻村麻乃氏(現「(すず)」主宰)である。

 俳人としては、元々母の笹尾操の手ほどきで俳句に親しんでいたが、本格的に向き合うため33歳の時に大野林火の流れを汲む野澤節子主宰の「蘭」に投句。後に、夫の隆彦の紹介で安東次男に師事。岸田稚魚主宰「琅玕」、川崎展宏主宰「貂」を経て、昭和59年、44歳の時に「(すず)」を創刊し主宰となる。結社名は、笹尾という旧姓と自身の名前「史乃(しの)」に寄る。平成28年、第四句集『ピカソの壺』により第12回日本詩歌句大賞・東京四季出版社賞を受賞。翌年には、文學の森賞準大賞を受賞。平成31年3月23日、78歳で死去。句集に『浮いてこい』『彌勒』『ぽつぺん』『ピカソの壺』がある。

 令和6年、結社「(すず)」は40年目の節目を迎え、辻村麻乃氏により『岡田史乃の百句』が出版された。その鑑賞文によれば、隆彦は酒に酔っては家に帰らない日が続き、最終的に、史乃は周囲の人々の勧めで離婚届を書く。のちに後悔した二人は復縁を試みたが、ままならなかった。若くして離婚した史乃は、華やかで美しかったという。

  鳶より上で単衣の帯を解く

  秋扇とてもねむいわまた明日

 鳶を見下ろす高層階の部屋で解く単衣の帯が艶っぽい。秋扇の気怠さを感じさせる口語が、話をはぐらかしているようにも見えて優雅である。

  単帯高く結びて酔ひにけり

  狐着て酔うてをります帰ります

  すこし酔ひ跣足で歩く池袋

 お酒は強かったのか弱かったのか。矜持の高さで結んだ単帯も豪華な狐の毛皮も酔ってしまう。跣足で池袋を歩く無邪気さもまた優雅に見えるから不思議である。

  かなしみの芯とり出して浮いてこい

  十五夜に一旦帰京いたします

  冗談ぢやないわハンケチまちがへて

 思いもよらない淋しい結婚生活、そして離婚。浮気を思わせるような間違えたハンケチ。恋のかなしみも強がりも詩に華やぎを与えた。

  夏痩せて男女を修了す

  引鶴は一糸の赤い糸なりや

  竹婦人好みし男もうゐない

  言ひ訳は私にもある大夕焼

 平成9年、隆彦は癌のため身罷る。享年57歳。離婚後にはそれぞれ別の恋愛があったのかもしれないが、同志のような存在の死に接し、青春の残像が赤く燃える。生涯パートナーを変えない鶴のように、終生赤い糸で繋がっていたのだろう。

  (すず)の子と万年筆を並べ置く

 娘のために朝霞市で開催するようになった句会の名は「(すず)の子」。現在は、主宰となった辻村麻乃氏が受け継ぐ。父母譲りの詩情と美貌で俳壇を明るく染める存在だ。ちなみに、麻乃氏のご息女も美人。今後の「(すず)」が楽しみである。

  別々に拾ふタクシー花の雨  岡田史乃

 掲句は、辻村麻乃氏の鑑賞によれば、この二人は別々の家に住んでいる男女であり、大人の付き合いであると推測している。その上で、「お花見に行くも帰りは雨となった。家族であれば同じ家に帰るのだが、相手には別の家族がある。タクシーを二台拾う時に作者はその事に改めて気づき、一抹の寂しさを感じたのではないだろうか」と述べる。

 花の雨は、明るくも切ない情感を孕む季語である。花見のあとに降り出した雨なら、なおさら切ない。ひと時の別れよりも一緒の家に帰れない寂しさを強く感じる。逢瀬から戻れば、お互いに何事も無かったかのような日常が待っている。別々にタクシーを拾う瞬間は、本当に辛い。

 大学時代の友人のナギエには、二年ほど一緒に暮らしていたコウキという恋人がいた。コウキは多趣味で友人も多く、スケボー仲間や麻雀仲間と夜な夜な飲み歩き、帰って来ない日が多かった。部屋に戻ってきてもギターばかり弾いていて会話らしい会話もない。誕生日に時間をかけて作ったシチューやケーキも友人との付き合いを優先して食べてくれなかった。そんな時に、ナギエの大学の後輩男性が近所のアパートに引っ越してきた。手を付けていない料理を「差し入れよ」と言って持ってゆき、一緒に食べているうちに深い仲となってしまう。結果的に、同棲していたコウキと別れ、後輩男性の部屋で過ごすようになった。ところが、新しい恋人は一緒に居ても退屈で、テレビを見ていてもゲームをしていても、全く面白く思えない。食事を作るのさえも億劫になっていった。半年ぐらい経って、桜が咲き始めた頃、コウキから「部屋に置いていったギターを持ってきて欲しい」と連絡があった。ギターを抱えて指定された公園に行くと、「悪いな。せっかくだから、飯でも奢るよ」と言う。ハンバーガーを買って、桜の木の下で食べた。「俺さ、今の彼女とウマが合わないんだよね。何をしてても、ちっとも楽しくない。ナギエと暮らしていた時は、飯食えとか早く帰って来いとか言われて、疎ましく思ったこともあったけど、楽しかった。また、逢えないかな」「今は私も新しい恋人がいるから無理。勝手なこと言わないで」「そうだよな。ごめん」。沈黙を埋めるように、コウキがギターを弾きだした。桜の花びらとギターの音色がきらきらと流れてゆく。コウキと居ると世界がこんなにも輝いて見えるんだと思った。夕方になり、にわかに雨が降り出した。手を繋いで近くの軒下に逃げ込む。「俺がナギエの部屋を出てゆく時は、険悪な雰囲気で、謝罪も感謝も告げられなかった。もう一度、やり直せないか」。『このまま帰れない』と思ったのは、二人とも同じだったのだろう。近所のホテルで雨宿りをした。夜になって、「もう、帰らなくちゃ」とベッドを抜け出す。駅に向かって歩き始めると、急にホテルの部屋で飲んだビールの酔いがまわり、ふらふらとした。「送ってくよ」とコウキは言ったが、その手を振り払ってタクシーに乗り込んだ。走り出した車の窓から振り返ると、コウキは別の道へ向うタクシーを拾っているところだった。もう二度と逢うことはないだろう。車窓の雨粒が花の塵とともに涙となって流れた。

 卒業後、ナギエは音楽関係の会社に就職し、後輩男性とも別れた。いくつかの出逢いを経て、30歳を過ぎた頃に結婚した。今でも、桜に雨が降ると「洋楽を好きになったのは、コウキの影響だったな。大っ嫌いだけど大好きだった」と想い返すらしい。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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