遠縁のをんなのやうな草いきれ
長谷川双魚
(『風形』)
作者は、明治30年、岐阜県生まれ。大正時代、20歳の頃に親類の経営する貿易会社のインド支店の支店長となる。帰国後、教員免許を取得し、朝鮮の中学校にて教師を務める。終戦後、故郷にて高校教員免許を取得し、後に岐阜薬科大学教授、東海女子短期大学教授を歴任。昭和17年、45歳の頃に日本画家であった弟の長谷川朝風の勧めで「雲母」に入会、飯田蛇笏に師事。昭和42年、70歳の時に、当時27歳であった久々子と結婚。昭和45年、73歳の時に、木下青嶂より依頼を受けて「青樹」主宰を継承。結社誌の編集、校正、会計は妻の長谷川久々子が切り盛りした。昭和55年、第一句集『風形』出版。昭和61年、89歳の時に第二句集『ひとつや』で蛇笏賞を受賞。翌年の昭和62年死去。「青樹」は、妻の長谷川久々子が継承し、平成20年終刊。
教授職を辞した晩年に40歳以上も年の離れた若い妻を得たことも驚きであるが、俳句を始めて間もない妻に結社経営を任せていたのは、さらに驚きである。長谷川久々子は、双魚の死の直後、第一句集『水辺』にて俳人協会新人賞を受賞する。晩年の双魚を支えたことで知られているが、久々子の句に憧れる俳人も多い。
双魚の句は、飯田蛇笏の影響を受けた大きな景と透明感のある写生句が魅力である。
炎天をすぎゆく風のうすみどり
山つねに夕日を待てりつくつくし
糸瓜垂れ青しといへど夕景色
水こだま走りて釣瓶落しかな
ひかりつつ秋おとろえて波頭
水に翳そひいつまでも冬去らず
雲よりも花に従ふ空の色
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