
絵踏する女こつちを見てをりぬ
阪西敦子
掲句を読んでまず心に残るのは、「絵踏する女」という主体よりも、「こつちを見てをりぬ」によって生じる視線の交錯です。
絵踏は、本来、足元に置かれた踏絵と向き合う行為であり、視線は下へ向かうはずのものです。その女が、踏みつけるその瞬間に「こつち」を見ているという事実が、場に不穏な緊張を生み出しています。
ここで「こつち」とは誰なのか。
作者自身であるとも、歴史資料としての踏絵を見つめる現代の私たちであるとも読めます。
しかし重要なのは、視線の主導権がこちらにないことです。
見ているつもりの私たちが逆に見返され、その瞬間、鑑賞者は安全な「見る側」の位置を失います。
「絵踏する女」が、こちらを認識しているという感覚が、句の景と現実の境界を揺るがします。
「絵踏する女」と「こつち」との沈黙の眼差しが、言葉を介さずに往復しています。
「見てをりぬ」という完了の措辞も、女の視線が一瞬の偶然ではなく、確かにこちらに届き、定着したことを告げます。
そこには恐怖と同時に、責任を突きつけられる感覚があります。
踏む側の女は、単なる被害者でも歴史上の存在でもなく、こちらの視線を受け止め返す生身の存在として立ち現れています。
その瞬間、過去の出来事は安全な距離を失い、私たち自身の倫理と向き合う場へと、静かに引き寄せられていく一句です。
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

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