
グレゴリアンチャント絵踏の頃をふと
稲畑廣太郎
「グレゴリアンチャント(グレゴリオ聖歌)」とは、単旋律、無伴奏の宗教音楽です。
掲句を読んだ時、まず、私自身が聴いたことのある「グレゴリアンチャント」の中の「Kyrie(キリエ)」を思い出してみました。
Kyrie eleison(主よ、憐れみたまえ)
と繰り返される祈りは、言葉というより呼吸に近く、
時間が流れるというよりも、時間が止まるように響く音です。
グレゴリアンチャントという、声にして祈ることが許された世界の音に触れたとき、作者の内部には、声を奪われた祈りの時代「絵踏の頃」が「ふと」重なったのかもしれません。
ここで詠まれているのは、歴史の再現でも、宗教的な意味づけでもありません。
遠い時代を思索するのではなく、ある音に触れた現在の自分のなかに、過去の気配が静かに重なった、その瞬間のみです。
この句の核となるのは「ふと」という一語だと感じました。
意図的に思い出したのではなく、音の響きに触れたとき自然に浮かび上がったのです。
グレゴリアンチャントの透き通る旋律と、絵踏の時代にあったであろう声なき祈り。
その二つが、作者の内部でかすかに触れ合った瞬間だけが置かれています。
掲句は荘厳な宗教世界を語らない。
殉教も、弾圧も、歴史的評価も語らない。
ただ、現代を生きる一人の人間が、ある音を聴いたときに感じた時間の重なりだけを差し出す。
その抑制のなかに、かえって深い祈りの気配が宿るように思います。
グレゴリアンチャントの響きが空間に消えていくように、この句もまた声高に主張することはありません。
ただ「ふと」という一瞬の気配を残し、祈りと歴史の時間が、いまもどこかで静かに重なり続けていることを伝えます。
掲句は、ただ一人の現在の感覚のなかに立ち上がる、時間の気配を静かに掬い取っている一句だと感じました。
『ホトトギス』平成十一年二月号「廣太郎句帳」所収。
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

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