新月や蛸壺に目が生える頃 佐藤鬼房【季語=新月(秋)】

新月や蛸壺に目が生える頃

佐藤鬼房

もし「タコという生き物の不思議さを知りたい」かつ「心とは何かについて考えてみたい」という人がいたとしたら、『タコの心身問題―頭足類から考える意識の起源』(ピーター・ゴドフリー=スミス著、夏目大訳、みすず書房、2018年)はうってつけの本である。同時に、掲句のイメージを、文学とは異なる角度から掘りさげてみるのにも、この本は大いに助けとなるように思う。

そもそも、タコは驚くほど「賢い」動物であることが、さまざまな実験や観察によって分かってきている。瓶の蓋を回し開けて、中の食べ物を取り出したり、好奇心旺盛に見慣れないものに触れ、それを道具として使ったりできる。また、同じ服を着た人物たちの中から好きな人、嫌いな人を見分けることができる。さらには、生きる上で必要のない行動、「遊び」にしか見えないふるまいまでする。例えば、タコ自身が噴射する水流と、水槽の給水弁から入ってくる水流とを利用して、小さな瓶をくりかえし行ったり来たりさせていたという観察事例があるらしい。本書の言葉を借りれば、「タコには余計なことをするだけの、内面の能力の余剰がある」(p. 88)。

このように、タコ(を含めた頭足類)には、いかにも高度な「知性」、あるいは豊かな「内面」があるかのように見える。しかし、この「心/意識」がどのように生まれたのかを考えると、実に不思議なところが多い。

ヒトやチンパンジーといった霊長類、イヌやネコといった哺乳類、そしてカラスやオウムを含む鳥類など、生物学分野の長い歴史の中で明確に知性(と一口にいってもいろいろな定義があるのだが)が認められ、さらには自己意識の存在可能性までもが科学的な議論の俎上にのぼる生物は、ほぼ脊椎動物である。これがどういうことかというと、これらの動物の心のありようは進化的に近しいもの、もっと言えば、ほぼ同一起源のものだと考えることができる、ということである。

特に、霊長類の脳の発達とそれに伴う知的能力については、「社会脳仮説」によって説明されることが多い。これは、霊長類の他種と比較して大きな脳が、複雑に発達した社会におけるさまざまな情報を処理するために進化した、とする説だ。

ところが、タコは無脊椎動物である。無脊椎動物と脊椎動物の進化的な共通祖先をたどると、少なくともカンブリア紀以前、おおよそ六億年も前にいきつく。ヒトとチンパンジーの共通祖先が約1000万〜500万年前に生息していたとされることを考えると、ヒトとタコとが進化的な袂を分かったのは、相当に昔のこととなる。

さらには、タコには先ほどの「社会脳仮説」は適用できない。タコの生活は基本的に孤独であり、群れをつくったり、協調的な社会生活を送ったりしないからである。それにもかかわらず高い知性や好奇心、「内面の能力の余剰」を備えているところに、タコという生物の特異性がある。つまり、もしタコに「心/意識」があるのだとしたら、それはわれわれ脊椎動物のそれとはまったく別の進化経路をたどって成立した、地球上における「もう一つの心のかたち」の存在を示唆することになるのだ。

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