ふた葉三葉去歳を名残の柳かな
北村透谷
明治25年の元旦、上掲の句を透谷は日記に記している。この翌月には、透谷が一躍文壇に名を馳せるきっかけとなった『厭世詩家と女性』の発表が控えている。自らを恃みとし世評に期待しつつも、纏綿たる懊悩と不断の自省のうちにそれらが絡め取られるような、やるかたない心理状態が、句に湧出しているようにも思う。
『厭世詩家と女性』の冒頭の辞句はあまりにも有名である。
恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて後(のち)人世あり、恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには人生何の色味かあらむ
これを以て、透谷を恋愛至上主義者たらしめるわけであるが、この宣言はまた、近代的恋愛の先駆けともなった。むろん、それ以前にも他の者による先鞭めいたものがないではなかったが、そのラディカルさやパッションにおいて透谷は他を凌駕していたといえよう。
透谷の恋愛観をさらにみてみよう。
彼が批判したものに、封建制度下における遊郭的恋愛美学がある。遊郭という限定された中で擬似的遊戯的に恋愛を楽しむことを、透谷は否定した。あくまで精神的自己犠牲的なものとしての恋愛を志向したのである。さらには、「好色は人類の最下等の獣性を縦(ほしいまま)にしたるもの、恋愛は、人類の霊性の美妙を発暢(はつちよう) すべき者なる事」(「『伽羅枕』及び『新葉末集』」)ともやや性急に書きなぐる。
ここで注目しておきたいのは、透谷じしんは、民権壮士時代に八王子の遊郭に入り浸っていたということである。遊女の名を刺青していたとも噂される(まるで荷風のようだ)。
思うに、透谷には生来の観念世界への志向性がある。彼の遊郭的恋愛から近代的恋愛へのいみじき転身は、「獣性」から「霊性」への観念性志向であったとも捉えることができる。透谷にとり、恋愛とは観念世界へと至るための自己超克であった、と言いたい。
さらに、ここに「想世界」と「実世界」などの透谷の用語も例に加えて、彼が陥りがちな二元論的収束を、その観念性志向の両端の表出として読むことができるのではないだろうか。牽強付会に過ぎるかもしれないが、透谷が自由民権運動から身を引く契機となった強盗計画も、その倫理的側面というより、思想の下に展開されるあまりの形而下的出来事の反復に辟易していた結果ともいえるのではないだろうか。キリスト教への帰依もその一つの相と思えてくる。
このように観念世界を志向した透谷が、二十五歳という若さで、執して自死という完全なる観念の世界に踏み入る道を選んだことは、むしろ見えすぎた道理であった、といえるかもしれない。
ところで、透谷の恋愛観には、どこかセルフィッシュなきらいがあるように思う。そのあたりが、ぼくが微妙に透谷に馴染みきれない要因のような気がしている。
ぼくをして言わしめるならば、恋愛とは、その端緒において予感される他者への蹉跌に対して、むしろ望んで関係することによって感得される人間関係の本来的な不可能性の自覚と、その救済である。
(木内縉太)
【執筆者プロフィール】
木内縉太(きのうち・しんた)
1994年徳島生。第8回澤特別作品賞準賞受賞、第22回澤新人賞受賞、第6回俳人協会新鋭俳句賞準賞。澤俳句会同人、リブラ同人、俳人協会会員。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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