銀紙をめくる長女の夏野がある
楠本奇蹄
引き続き楠本奇蹄氏の『グッドタイム』を取り上げる。そもそも氏の句は一般的に平易でないとされるようだが、私にはしっくりくる。
言語化するのはとても難しいし野暮と思うが、そうもいかないのでどうにか書こう。
銀紙をめくる長女の夏野がある
句集『グッドタイム』80ページ 以下も同じ
午前に硬い蕾だったのに、午後にはすっかり開花していることもある。いつの間にと驚きつつ新鮮な瞬間だ。もしかしたら子供の成長もそうなのかも知れない。銀紙は綺麗だけど奥歯が軋むような感覚もある。そんな銀紙をめくると緑の夏野が広がっているという。長女が10歳位と仮定すると、去年より背が伸びて走るのも早くなり、髪はより艷やかに丈夫になっただろう。蕾が開花するように蝶が羽化するように、夏野を走り遊んでいる。微笑ましくも少し寂しく見ているのかも知れない。銀紙と夏野の取り合わせに青春性も感じる。
背泳ぎで探すUFO臍さみし 82ページ
どう考えてもやらないことを句にしたのも面白い。UFOを探すには空を見なければいけないとなると、クロールではなく背泳ぎを選択するしかない。手で水を掻いて背中を水平にしながらUFOを探している。そうなると臍には意識がいかずそれを寂しいと思う。
イヤホンは誰の緑雨に触れてゐるか 168ページ
イヤホンが触れているのは自分の耳だろう。お気に入りの音楽を聴いて豊かな気持ちになっている。イヤホンは自分の耳に触れ、アーティストの生み出した楽曲が耳に触れ、僕は誰の緑雨に触れているのだろうと。雨に色はないけど、こんな瞬間には「夏の雨」ではなく瑞々しい「緑雨」と書きたい。
半夏生うぶ毛はやがて消える雨 179ページ
日常ではそれほどうぶ毛が目立つこともないが、日射しによってきらきらと存在感を増すこともある。おでこや二の腕、うなじなど女性なら剃ってしまうことが多いが、剃りきれないところもある。雨はあがるしうぶ毛にずっと日射しがあたってるわけでもない。うぶ毛をやがて消える雨と表現したのが繊細だ。半夏生という田植えの後期の季語に、何気ないうぶ毛と雨を取り合わせたことで奥深い句になった。
「銀紙・長女・夏野」「背泳ぎ・UFO・さみし」「イヤホン・緑雨」
このような取り合わせに納得する。氏はナイーブな句を作るが、そこまで寂しがりでもなさそうだ。取り合わせの良さというのは測れるものではないが、磨かなければ錆びる。私は普段から作りたい句はなくて、空の歯磨き粉のチューブを無理矢理ひねり出してる感覚だ。
『グッドタイム』のあとがきには「蛇口から零れ落ちる寸前の水滴のような、毀れやすいかたまりがある。どこから来たのかわからない。朝の陽光で眩くふちどられて、たちまちそれは私を追い越していく。そんな瞬間を、俳句にとどめておきたい。」とある。
あふれる瞬間を待っているのだ。
(有瀬こうこ)
【執筆者プロフィール】
有瀬こうこ(ありせ・こうこ)
2016年12月作句開始。
いぶき俳句会所属。豆の木参加。
2023年第13回百年俳句賞最優秀賞。
2024年第30回豆の木賞。
2025年第8回俳句四季新人賞奨励賞。
2024年「えぬとこうこ」発売。
2025年末「えぬとこうこ2」発売予定。
【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二