【俳書探訪】片山由美子『鷹羽狩行の百句』(ふらんす堂、2018年)

では、狩行句の「新味」を具体的に見ていこう。それは、代表句の〈落椿われならば急流へ落つ〉(『誕生』1961年)に見られる句またがり、〈夜の新樹詩の行間をゆくごとし〉や〈一寸にして火のこころ〉(『十三星』1999年)のような叙情的で無駄のない比喩を用いた自然詠、あるいは〈ゆく年のゆくさきのあるごとくゆく〉(『平遠』1973年)や〈風の道すなわち雪女郎の道〉(『五行』1974年)のような音のリフレインや対句表現などである。これらはすべて「取合せではなく、季語そのものをテーマとして詠む一元俳句」である。

ここには、「ものを観察せよ」という写生のお題目は、あまり強く感じられない。実際に、片山によれば、「単なる写生に過ぎない」という言い方で、即物写生を標榜する伝統派とは、狩行は距離を置いてきたのだという。

写生ではない手法により、季語の本質を平易な言葉で、叙情的に描くこと。

それが可能なのは、句またがりやリフレインを中心とする十七音のリズムのヴァリエーションが鷹羽狩行の身体に叩き込まれており、季語の即物性を人間の「気分」へと転化していくという方針が明確だからである。だからこそ、「技法」という面が際立って見えるのだ。そのことを片山は、「定型を逸脱することなく定型を揺さぶる」と表現している。

もっとも、こうした「技法」は誓子のなかにも見出しうるものである。最も有名な例でいえば、〈炎天の遠き帆やわがこころの帆〉であろう。

この有名句もまた、句またがりの勢いあるリズムで、「炎天の遠き帆(景)」と「わがこころの帆(心)」という対句的な表現が用いられており、「帆」という音がリフレインされ、「遠き帆」の即物性が、「こころの帆」という気分へと転化されている。

山口誓子は生涯で「天狼調」と呼ばれた句以外にも、実にさまざまな句を詠んでいるが、狩行が中心的に継承していったのは、このような句風=工夫であった。

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