幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦


幾千代も散るは美し明日は三越

攝津幸彦


詩歌にはいろんな技法がある。わたしは唱和が好きなたちで、読んで楽しむばかりでなく自分でもしょっちゅう書く。たとえば〈夜の桃とみれば乙女のされかうべ〉は西東三鬼〈中年や遠くみのれる夜の桃〉への、また〈萩は戸にわれは仮寝に酔うてをり〉は松尾芭蕉〈一つ家に遊女も寝たり萩と月〉への返しだ。死んだ人に語りかけるのはわたしの癖で、日々空を見上げては、死んだ人にあらゆることを相談している。

ところで、上にあげた拙句は自分から言わずとも「あ。本歌取りだね」と多くの人が気づくような例だけれど、気づかれにくい句というのもある。

幾千代も散るは美し明日は三越  攝津幸彦

この句は「今日は帝劇、明日は三越」という戦前の広告のもじりだと言われていて、それはたしかにそうかもしれない。けれども本歌取りの観点からみれば、この句は文化4年(1807)の深川祭の夜に起こった、転落・死傷者・行方不明者が合計で1400人を超える大惨事となった永代橋落下事件にまつわる狂歌、

永代とかけたる橋は落ちにけりきょうは祭礼あすは葬礼  大田南畝

へのオマージュとみることが可能だ。詳しく説明すると、

(1)どちらも東京(江戸)の粋な風俗にからめつつ、
(2)無常の死を主題とし、
(3)〈幾千代〜散る〉〈永代〜落ちる〉と構造が酷似し、
(4)〈散るは・明日は〉〈きょうは・あすは〉と文節のリズムが一緒で、
(5)〈美し・三越〉〈祭礼・葬礼〉と脚韻がリフレインする点も同じ、

というわけである。南畝の歌は『夢の憂橋』から。夢そして憂。このモチーフ自体も、ものすごく攝津幸彦っぽい。

小津夜景


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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記


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