卓に組む十指もの言ふ夜の秋 岡本眸【季語=夜の秋(夏)】


卓に組む十指もの言ふ夜の秋)

岡本眸


 刑事コロンボが犯人にボロを出させる手法の一つとして、尋問を一通り終えて帰りかけている相手に「すみません、あともう1つだけ」と追加の質問をする、というものがある。ホッとした瞬間に問いかけられたことに事件解決の糸口となることをつい喋ってしまうのだ。コロンボをオマージュした「古畑任三郎」シリーズにもこのスタイルがしばしば見られる。緊張の糸が切れた時にこそ、人は話さなくて良いことまで話してしまいがちなのだ。こんな良い作戦を使ってみたいのだがまだ実生活で試したことはない。

 言葉にせずとも体が反応してしまうことがある。夜、深めの時間に帰宅しマンションのエレベーターに乗ろうとしたら向こう側から男性が来た。二人で乗るのは嫌だなあと思っていたら「どうぞ」と譲ってくれた。なんと親切な方なのだろうと感動したのだが…冷静に考えたら「嫌だなあ」が顔に出ていたのだと思う。マスクをしているのにそれを読み取られたということは相当眉をしかめていたのだろう。あの時の紳士様、失礼いたしました。目は口ほどに…ですね。

   卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸

 卓の上にしっかりと組んだ十指は祈りの形だ。その十指がものを言う、つまり動くとすれば指を組み直す動作だ。その動作からは強い意思を感じる。まだ無意識にあった思いが言語化される前に指が反応して動き、そこから自分の心情を知るという逆転現象が起こったのだ。指を組み直す動作は決心の現れだ。決心した結果指が動いたともとれるが、それでは「もの言ふ」が生きるだろうか。

 主宰誌「朝」の運営、賞の選考委員、カルチャーセンターの講師などと多忙を極めていた作者。この句が詠まれた時点では夫を亡くしてから8年の歳月が経過している。それは享年45にして夫に先立たれた心の穴を埋めるのに充分な時間だったであろうか?

 「夜の秋」から読み解くとすると、ずっと気を張って生きてきたところ、暑さが夜だけふっとゆるんだ瞬間に心も少しゆるんだのではないだろうか。そこで出てきた本音は哀しみではなく、前を向く強い意志であった。掲句発表以降の作者の精力的な活動を見るとそれは本人の意志だけではなく大きな力に動かされる前兆を指先が読み取ったとさえ思われるのである。

 何かを感じ取るのと言語化して認識するのには時差がある。ゆえに体が言葉よりも先に反応することは珍しくない。自分の心が見えない時は体の変化に注目すると良いのかもしれない。そして感じ取ったことを言語化するのが俳句だ。句になるのが一瞬のこともあれば10年かかることもある。この時差を楽しむことが出来れば最高なのだが。

『十指』所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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