【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2021年10月分】


【読者参加型】

コンゲツノハイクを読む

【2021年10月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集をはじめてみました。まだ誰にも知れていない名句を発掘してみませんか? どなたでも応募可能できますので、お気軽にご参加ください。今回は9名の方にご投稿いただきました。


梅雨蝶の風にあらがひ来るところ

山田美恵子

「火星」2021年9月号より

梅雨どきの晴れ間は明るい気分になると同時にほっとする。そんな穏やかな心持ちでいるところに蝶が飛んでいるのが目に入ったのだろう。「ところ」とは進行形ともとれるし、以前もそこで同じ光景をみた場所ともとれる。どちらであってもこちらに向かってくる蝶の生命力を感じる。「あらがひ」が平仮名であるのも良い。蝶の繊細さと、飛び方が直線的ではないことを感じられる。急に冷え込んだこの数日だが、梅雨の晴れ間の暖かい日のなかにいるような気持になった。(弦石マキ/「蒼海」)


海芋白し小池都知事の靴の音

戸田春月

「火星」2021年9月号より

小池都知事のイメージカラーと言えば「百合子グリーン」と呼ばれる緑だが、この句が取り合わせたのは海芋の「白」。しかも、都知事の政治姿勢や見た目ではなく「靴の音」を出してきたところに意外性と妙味がある。音読してみると上五・中七・下五の頭にK音が入っていて、それこそ「靴の音」を思わせる。こちらへ向かって来る音なのか、それとも去って行く音なのか、はたまた足踏みしている音なのか。いろいろと想像の膨らむ一句。(西生ゆかり/「街」)


バイク疾走腰にかなぶんしがみつく

平原桂子

「鷹」2021年10月号より

バイクの腰にしがみつくのは普通は恋人(または家族)。これを季語「かなぶん」にしたことで、山中のワインディングロードが連想されます。そしておそらく人を乗せてでは危なくてタンデム出来ないような道・スピードを思わせます。六本足のギザギザでくっついたら離れない甲虫なら、そんな道でもしっかり掴まっていられる。風景とスピード感を見事に省略しておられます。(鈴木霞童/「天穹」)


言はずとも片蔭拾ひ盲導犬

石井九峰

「天穹」2021年10月号より

厳しい訓練を受け難しい試験に合格した犬だけが盲導犬と認められる。候補犬は、訓練に入る前の一年間「パピーウォーカー」という里親に預けられる。この間訓練は一切せず、只管里親家族に可愛がってもらい人間との信頼関係を築くという。訓練自体は、曲がり角、段差、障害物等を教えるといった基本的なことが中心だそうだが、これに加えてパートナーに細かい配慮ができるようになるかどうかは、この里親家族との生活で決まるとか。

さて掲句。この盲導犬は、炎天下パートナーを強烈な日差しに晒さないよう片蔭を拾って歩いているという。しかも自らの判断で。きっと里親家族からたっぷりの愛情を受けて育ったのだろう。盲導犬の賢さを再認識させられた一句。(種谷良二/「櫟」)



油虫妻の見つけぬうちに追ふ

清水余人

「田」2021年10月号より

案外、男の方が気弱(良く言えば優しい)、妻に見つかれば殺されるであろう油虫を追いやる。家の外に逃げてくれれば良いが、妻に見つかるか?(史郎/「鷹」)


まだぬくき豆腐小鍋に遠郭公

五十嵐礼子

「たかんな」2021年9月号より

満腹感。それを、かくも上品に云い留めたりという魅力を湛えた一句と感受します。小鍋の背後には、味わい尽した大皿小鉢の類が見える。云われてみれば閑古鳥のあの声は、口福の余韻嫋嫋たるにまことに相応しいというものではありませんか。食後のこなれも良さそうです。食べ切れず豆腐がひとかけら残っている。何となく憐れを催して、無理すれば食べられそうだが、いや暫く、豆腐と心の会話などぽつりぽつりと、人豆交歓の一幕を愉しむこともできましょう。(平野山斗士/「田」)



すててこの吾も昭和の遺りもの

松村義隆

「天穹」2021年10月号より

「遺」の字が眼目なのだろう。そして、季語が光っていると思った。

平成になって間もなく米国へ移住してしまった私には、平成以降そのものがどこか別世界で、人生からスポンと抜けている。普段の私は昭和から卒業できていないのだが、こんな句に出会うと、昭和は遠い昔なのだなあ、と再認識する。この句の作者の、自分が昭和の遺産だとでもいいたげなポジティヴな姿勢を好ましく思う。すててこは昭和生まれではないだろうけど、穿いている人は昭和生まれだろう。植木等みたいな腹巻き姿は見かけなくなったが、今でもすててこ風のパンツは時々目にする。それもけっこうおしゃれなの。涼しくて楽ちんなすててこ、バンザイ!(フォーサー涼夏/「田」)


草むしり過去へ過去へと扉の開き

名取光恵

「いには」2021年10月号より


わかる。草むしりをしていると雑念が消えて、ひたすら自分と向き合う時間が訪れる。その自分とは過去の自分であることが多く、思い出に耽るだけでなく、自省の念に駆られることもある。「あの時こうしておけばよかった…」など。まさに過去への扉が開かれてゆくのである。それはある意味、心地よい時間でもあり、明日はもっと良い自分に会うための時間とも言えよう。過去へ過去へと言いながら、前向きさを感じる一句である。(曽我晶子/「天穹」)


黄金虫乱歩の暗さ背負ひ飛ぶ

飯田冬眞

「磁石」2021年9月号より

この俳句には、いくつかの伏線が張られています。江戸川乱歩の名前は、エドガー・アラン・ポーをもじって付けられたものであり、季語である「黄金虫」はポーの探偵小説の「黄金虫」と重なっている。乱歩自身、一番好きで、何度も読み返したという作品。乱歩が翻訳した、世界名作全集版の「黄金虫」は、それまでの翻訳とはひと味違った、探偵小説として、少年少女がより楽しめ、原作者のポーの文章を崩すことない工夫がされている。乱歩が1936年に発表した、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する怪人二十面相』。ここでは、ダークヒーローともいえる、怪人二十面相を生みだした、乱歩の作品の一部にある、「エログロ・猟奇・残虐趣味」を垣間見ることができます。この句には、そんな、乱歩の多面性も表現しているかのように思えました。(野島正則/「青垣」「平」)


ぶらんこを譲りつづけてゐる子かな

千野千佳

「蒼海」2021年13号より

「譲りつづけている」という以上は、この公園にはけっこうな人がいて、平日の降園後ないしは週末の景なのだろう。順番が来たのに、後ろの子供にまた先にいいよ、と言ってしまう。いや、子供はもじもじしているだけで、親が代わりに「お先にどうぞ」と言っている気もする。この子供と親の混ざり合ってる感じ、そして親としては「そろそろ乗ったら」と思う反面、おそらく自分と子供との性格の重なり合いを感じているのかも。そう考えると、「子かな」という感慨は、客観的に突き放しているというより、いくらか自分に跳ね返ってくるようだ。うちの子(4歳)もこんな感じです。(堀切克洋/「銀漢」)


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