【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年3月分】


【読者参加型】

コンゲツノハイクを読む

【2022年3月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集を行っています。まだ誰にも知られていない名句を発掘してみませんか? 今回は7名の方にご投稿いただきました!(掲載は到着順です)


大枯野ゆく伊勢丹の紙袋

加藤綾那

「秋草」2022年3月号より

「伊勢丹の紙袋」を提げた人が、ひとり枯野を歩いている。通常は枯野に存在しない「伊勢丹の紙袋」のチェックの色彩は極めて鮮明だ。この句、紙袋と人だけがカラーなのだ。その背景の大枯野は完全なるグレースケールで、逆にそれが広大な枯野らしさとなって読み手に迫ってくる。カメラは徐々に引いていき、最後は急上昇して枯野全体を映し出す。「伊勢丹の紙袋」というその印は、点となり光を放ち続けている。人物不在で風に舞う紙袋の句という解釈であっても、伊勢丹効果は揺るがない。とてもセンスがいい小道具の使い方だと思う。

松村史基/「ホトトギス」)


悪相の魚食ひ尽くす十二月

西田 洋

「雲の峰」2022年2月号より

確かに、冬の魚は鮟鱇を筆頭に、鮑鮄、鱈、助宗鱈、金目鯛、舞鯛など「悪相」で美味の魚が多い。この他にも私は知らなかったが方頭魚、眼抜、鍋破などという「悪相」の魚も歳時記に立項されている。揚句は「食ひ尽くす」と言っているのだから、忘年会シーズン、余程「同好の士」と食べ歩いたか、海産物の豊富な土地にお住まいなのであろう。鍋に刺身に、また「あん肝」のような特別な食べ方もあるかも知れない。酒は当然、日本酒だろう。昨年十二月は、今思えば奇跡的にコロナが収まっていた時期である。「十二月」を堪能された作者が羨ましい。

鈴木霞童/「天穹」)


出張の一期一会のおでん酒

小山さち子

「円虹」2022年3月号より

一人出張で知らない街を訪れるのは家族や友人との旅行とは少し違った楽しさ。仕事が終われば後は初めての街を一人で探検。早速飲み屋を探す。ネットでの情報収集はご法度。街をぶらぶらして行き当たりばったりで店を選ぶ。一見の店に入る時の緊張感。扉を開けた時の亭主や常連のなんとも言い難い一瞬の胡散臭げな眼差し。亭主も客ももう二度と会うことはないと悟った上での関係。しかしそこは大人同士。お互い疎かにはしない。饒舌に走ることなくぽつりぽつりと言葉を交わし、おでん種を四五品。銚釐の熱燗を二合。これでさっと引き上げる。

考えてみれば人生は全て一期一会だ。

種谷良二/「櫟」)


ひと啼きの上手な羊聖夜劇

渡辺花穂

「天穹」2022年3月号より

教会で子どもたちが演じる聖夜劇。それはキリスト誕生のシーン。羊というのは脇役中の脇役。その羊に注目した作者、それを句にしたことが素晴らしい。はじめ、羊役は我が子?かとも考えたが、そうではなく、全体を冷静に客観視している目を感じた。実際に見たこと、感じたことを句にすれば、秀句が生まれやすい、と聞くが、この句がまさにそれだと思う。聖夜劇をいくら想像してみても羊の声は聞こえてこない。

フォーサー涼夏/「田」)


花ミモザ圧倒的に勝つテニス

岡田由季

「炎環」2022年2月号より

「圧倒的に勝つ」という表現が突き抜けていて実に気持ちが良い。負けた方も相手に大拍手を送りたくなるような気持ちが強いに違いない。季語「花ミモザ」が爽やかでテニスにぴったりと合う。作者の岡田由季さんとはネット句会でたびたびご一緒している。(句会で勝ち負けというのは変かもと思いつつ)由季さんはいつも句会で圧倒的に勝つ。言葉選びの素直さ、場面の切り取りの鮮やかさが素晴らしく、いつも敵わないなぁと思っている。わたしはこの句の敗者のように清々しい気持ちでいる。

千野千佳/「蒼海」)



木犀や遺品の中にわが手紙

森尻禮子

「磁石」2022年1月号より

四年前の秋、友人が他界した。突然のことにわけも分からず混乱したまま、葬儀に参列した。葬儀場にはアート好きの彼女の部屋に飾られていたというアート作品のコレクションが並べられていた。その中に、私が作った小説の冊子が置かれているのを見つけたときの衝撃は今でも覚えている。その時はじめて、彼女が私のことをどう思ってくれていたのかがわかった気がした。会えなくなってから気づいても、遅いのに。一句を覆うような「木犀」の強い香りに、泣けるほど嬉しいような、責め立てられているような、そんな当時の複雑な心境が蘇った。

笠原小百合/「田」)


冬帽子振りて走者を励ませり 

條川祐男

「濃美」2022年3月号より

冬の風物詩の駅伝かマラソン大会でのスナップショットであろう。選手たちの姿に感動し、応援したいのだが、あいにく手旗なども持ち合わせがない。しょうがないので、被っていた冬帽子を使って応援に参加した。という具合か。よく見かける光景なのだが、こうして俳句にしてみると、「冬帽子」という季語や人間の動作を上手く発見し、捉えた句であることが分かる。措辞も過不足なく丁寧に写生されており、作者の気息が伝わってくるようだ。

北杜駿/「森の座」)



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