月光や酒になれざるみづのこと
菅 敦
日本酒づくりには、酒米だけでなく「水」も大切である。
酒造りに使う水のことを「仕込み水」というが、たとえば伏見(京都)の酒は、ミネラルをほどよく含んだ中硬水。繊細な京料理にも合うような、なめらかなお酒。フランスのワインで喩えれば、ブルゴーニュだろう。
一方で、硬水を使う灘の酒は、江戸っ子たちの口を満足させるための「男酒」。雑な対比であることのご容赦を願いたいところだが、ボルドーワインのような骨格がある。
さて、掲句の「酒になれざるみづ」だが、「月」という和歌由来の題が添えられていることからも、やはり女性的でふくよかな水のかたさを思う。
もちろん、目の前に仕込み水が置かれているという酒宴の場でもよいのだが、やはり竹取物語以降の「月」にまつわる女性性のイメージから、やわらかな「みづ」へと連想が飛んだ、という読みもあるだろう。
むしろ、「みづのこと」という止め方からは、そのような読みのほうが支持されるかもしれない。
秋の夜長の、水のような月の光には、ボードレール/ドビュッシーのように官能的なブルゴーニュの赤も捨てがたいが、和装でどっしりと胡座をかいて、名月を肴に京の酒を一献というのも捨てがたい。
『仮寓』(2020)より。(堀切克洋)