懐石の芋の葉にのり衣被
平林春子
1978年刊行『信濃句集』復刊第6号より。
この合同句集には、会員の句が俳句歴に関わらず五十音順に15句掲載されている。どうしても巧拙が現れるし、私自身の好みも関係し読み飛ばしてしまう作品もあるのだが、その一方で「おっ!」と注目する作家もいる。平林春子もその一人だ。
美しくみせる日傘の色ありし
紫は中年の色鉄線花
初釜の立居の帯のくくと鳴く
もぎたての無花果白き乳こぼす
気高くも大人の色気が漂い、ついほぅと溜息が漏れてしまう。44年前に私が若い青年であったなら、この年上の女性を憧れの目で見つめたことだろう。というか、これらの句を読んでいるときの私が青年になっている。あぁ、こんなオトナになりたかった。
平林春子は「岳」所属。過去にどのような俳句を投稿していたのか気になり、第4号、5号を見直したところ、作品も会員名簿の掲載もなかった。つまり、1978年に会員に加わったと思われる。俳句の完成度からしても初心者でないことは明らかで、長野県俳人協会が放っておく筈もなさそうだが、他県からの移住など何らかの事情があったのだろうか。
詮無い憶測はさておき、掲句はもちろん独立して読んでも十分楽しい軽妙洒脱な一句だが、上のような句のなかに置かれていると、また一と刷毛ほどの風趣が加わるようだ。芋の葉に乗った小芋があたかも小袖を頭から被った平安時代の女性であるような、一種のフィギュア感とでも言ったらいいだろうか。古来の衣装に見立てた料理を再び見立て返して一回転させるのははなはだ愉快な趣向だ。いや、そんな面白がり方は作者の意図せぬところとしても、この句が描く小ぶりな芋料理の愛らしいことに変わりはない。懐石の席に供されるのだから、形も揃い、つるんと皮を剝いた頭の部分から覗く芋の白さも輝くばかりだろう。艶やかな芋の葉もいい引き立て役になっている。
この句を見つけてからむしょうに衣被が食べたくなった。ところが、毎日のように出かける近所のイオンには石川芋どころか里芋すら売っていないのである。薩摩芋は大箱に積んだ上に焼き芋だって大いに売り出しているのに。他の店ではどうだか分からないが、たまに行く西友でも見かけたことがない気がする。一体どういうことなのだろう。松本市民は里芋を食さないのだろうか。そう言えば居酒屋のメニューでも見かけたことがないかも。先日、市の外れのワイナリーへ遠足に出かけたときに隣接する産地直売店で漸く見つけたので買い求めた。形も大きさも不揃いで土まみれの毛むくじゃら、と衣被にするにはとんだ末摘花ではあったけれど、蒸籠で蒸かして食べたらなかなかの美味でした。でも、願わくばちょっとした料理屋でお酒を傾けながら頂きたいものだ。その時だけは平林さんのような大人の女になったつもりで(叶わぬ夢)。
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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