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対岸や壁のごとくに虫の闇 抜井諒一【季語=虫(秋)】


対岸や壁のごとくに虫の闇 

抜井諒一


夜である。

目の前に川が流れていて、その向こうの草木のほうから虫の鳴き声だけが聞こえてくる。川音は聞こえているが、川はゆらゆらと月光をほのかに浮かべるのみ。対岸はおそろしく暗い。

その暗さの向こうへはいけないと感じるまでに「虫の闇」が立体的に感じられる。それは川の隔たりがあるからこその実感だ。「対岸や」という切り出しが、うまく効いている。

ところでこの感覚は、ウェブデザインなどにおける「レイヤー」とかなり似ている。

レイヤーというのは、日本語でいえば「層」のことだが、最終的には平面上にレイアウトされるもの(オブジェクト)であっても、そのプロセスでは何枚もの透明な紙のようなものが重ね合わさってできている。その「透明な紙」がレイヤーだ。

この句でいえば、「川」がひとつめのレイヤーである。その向こうに「対岸」というふたつめのレイヤーがある。さらにその向こうに「夜空」などを含めた空間がある。それがみっつめのレイヤーだ。

しかし、ふたつめの「対岸」のレイヤーは「虫の闇」でもある。だから、本来であれば見えるはずのみっつめのレイヤーは、目で見ることができない。三つ目のレイヤーはあってなきごとしなのだ。

別の言い方をすれば、ここには「遠近法」がない。つまり、視点が吸い込まれていく幾何学的な一点(消失点)は存在しておらず、フラットな面がふたつ、みっつ重なっているだけだ。

この感覚はマンガ、あるいは歌舞伎や文楽において顕著な「奥行きのなさ」である。平面的であるということだ。

「視線が奥にいかない」というのは、ヨーロッパの絵画史でいえば、マネの「オランピア」(1865年)に見られる特徴である。

裸体の女性を描きながらも、それが理想化されていないために、「下品なメスゴリラ」と酷評されることになったが、それは日本の浮世絵からの影響もあったとされている。

いま、わたしたちが見ているパソコンないしはスマートフォンの画面も平面的な「レイヤー」の重なり合いである。

あたかも、そのレイヤーの奥に行くことが禁じられているかのように、私たちはとても窮屈な世界にいま、生きている。

現代のあらゆる芸術は、そのようなレイヤー的な美学を、いかに相対化させるかにかかっているのかもしれない。

その意味で、掲句はお手本のように「近代的」であり、それゆえに「同時代的(コンテンポラリー)」である。 

角川「俳句」2020年10月号より。

(堀切克洋)

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